『豊臣兄弟!』小一郎が悪辣城主に怒りの鉄拳!まさかの父子共演で描かれた竹田城攻めを史実とともに考察:4ページ目
“両兵衛”の静かなバトルも見どころ
今回初登場した、小寺官兵衛尉孝高(のちの黒田官兵衛)。前回、〜近づく竹中半兵衛(菅田将暉)の最期…〜という記事で、黒田VS竹中の人物像・戦略・交渉術・人間性に関するエピソードを比較してご紹介しました。
初出会いが楽しみだったのですが、なかなか火花が散っていたのが評判になりました。
ツヤツヤで若さ溢れる頭の切れる黒田官兵衛が、話すたびにドヤ顔で半兵衛を見るのに対し、色白で儚げ感が強くなった半兵衛がカチン!ときて変顔で対抗するのも面白かった。この二人の今後がどう変化していくのかも見どころです。
さて、ドラマでは天正5年11月、上月城目指し途中で福原城攻めにかかっていたときのこと。わざと戦略に「穴」を作り官兵衛が気づくかどうか試す秀吉と半兵衛。
その「穴」を発見したときの官兵衛のドヤ顔は最高でした。秀吉に「よし、官兵衛の策でいこう」言われ、口を「への字」する半兵衛。官兵衛は自信満々に「おまかせくださりませ」と秀吉に頭を下げたあとに、半兵衛をちらと見やり「ふふ〜ん」とばかりの煽り顔をするのも面白かったです。
「ああも得意気になられると腹が立ちます」という半兵衛に、笑いつつも「…何か急いておるのか」と心配する秀吉。このドラマでは、自分が愛する人(弟とか)の心の機微に敏感です。半兵衛は笑って流すのですが、最後の時間が近づいてきたことを悟り、急いで「秀吉の軍師としてのバトン」を官兵衛に渡そうとしているのでしょうか。
最後に
ほぼ無血開城を終え、ほっと一息ついた小一郎にもたらされたのは、秀吉軍が出向いた上月城では「皆、斬首、女子供も磔、串刺しにされ西との国境にさらされ、それを命じたのが秀吉かも」という衝撃的な知らせ。
そして殺戮現場に立ちすくむ秀吉の横顔のシーン。闇堕ちした!という声があがりましたが、果たして……。
実際、天正5年(1577)秀吉は1万5千ほどの兵を率いて上月城を包囲し12月に落城。秀吉は城内にいた200人ほどの女性を磔、子供は串刺しにして国境に晒したという記録が残っているそうです。
その後、攻略した上月城に尼子勝久・山中鹿介を入城させるも、今度は毛利軍が大軍で上月城を包囲。信長に救援を求めるも援軍は出されず。籠城のすえに降伏し、尼子勝久は自刃、山中鹿介は捕まり誤送途中に殺害されました。この悲劇は秀吉にとって大きな痛手になったと伝わります。
軍記物や講談などで語り継がれる有名な話ではありますが、今までの脚本を見る限り、比叡山では女子供を逃すなど「命を守る」秀吉として描かれてきただけに、いきなり「秀吉が処刑を命じ闇堕ち」は、性急でそのまま過ぎるような。
ドラマでは、命が短い半兵衛の献策、城攻めが得意な官兵衛の策、実は「もはやこれまで」と悟った上月城側の集団自害……など、意外な脚本になるのかもと、あれこれ想像してしまいました。波乱の展開になりそうな次回を見守りたいと思います。
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