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『豊臣兄弟!』小一郎が悪辣城主に怒りの鉄拳!まさかの父子共演で描かれた竹田城攻めを史実とともに考察

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史実による太田垣輝延のその後

輝延の態度に激怒した小一郎は「家臣の命を何じゃと思うとるんじゃ」と、思い切りぶん殴り倒しました。

胸ぐらを掴み顔を見て輝延が鼻血を出していることに気がつき、「あ…一滴たりとも血を流さぬつもりじゃった」という小一郎。『ほぼ無血開城』となりました。

敵も味方も笑いに包まれる中、毒気を抜かれ呆然とする輝延に、「お飲みくだされ」と水が入った柄杓を口元に差し出す家臣・上垣清重。

「われらの負けでございまする」と静かに言い聞かせるように伝えます。これ以上、あさましい姿を皆の前で晒さないよう引導を渡したのでしょう。ご立派な家臣ぶりだった上垣殿。今回、竹田城軍のMVP

史実の太田垣輝延は、知名度の高い武将たちと比較すると、華々しいエピソードなどは見当たりません。生没年は不詳、どのような人物か分かる史料もないようです。けれども、竹田城の運命や但馬が織田に組み込まれていくプロセスを考える上では、重要な人物といわれています。

史料によると、天正5年(1577)、秀長軍が但馬へ侵攻、竹田城を攻略し落城。城主の太田垣輝延は降伏・追放されました。ところが、2年後の天正7年(1579)頃には、毛利元就の次男・吉川元春が竹田城を対織田戦線の重要拠点とした際、輝延は再び竹田城に復帰したそうです。

『信長公記』によれば、天正8年(1580)、織田軍が改めて但馬の制圧に乗り出したとき、毛利方の援軍はなく、竹田城の輝延は抵抗ができないまま降伏。没年などは伝わっていないようです。

「戦いで家臣を死なせたくない」マインドの小一郎と「家臣は俺の犠牲になって当たり前」マインドの太田垣輝延を、演技力の高さに定評のある親子俳優対決でドラマチックに描くのは、大河ドラマというエンターテイメントならではの面白さ。

先週、派手に爆死した松永久秀を演じた竹中直人さんの、『歴史を塗り替えてこそ、真の大河ドラマだと思っています』というインタビューの言葉が蘇りました。

4ページ目 “両兵衛”の静かなバトルも見どころ

 

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