朝ドラ【風、薫る】日本髪はなぜダメだった?“女子断髪禁止令”の時代にバーンズ先生が教えた看護の基本:3ページ目
『女子断髪禁止令』に反発し「婦人束髪会」が発足
ばかげた「女子断髪禁止令」に反発し、明治18年(1885)には、医師の渡邉鼎(かなえ)と経済記者の石川瑛作が、『婦人束髪会(ふじんそくはつかい)』を発足させました。
ちょうど、史実では2年後の明治20年(1887)に、一ノ瀬りん(見上愛/大関和がモデル)や大家直美(上坂樹里/鈴木雅がモデル)が「桜井女学校看護婦養成所」に入学しています。
婦人束髪会は、伝統的な日本髪は「不衛生・不経済・不便」で、その全てを解消するヘアスタイルとして『束髪』を提唱。着物にも洋服にも似合う「三つ編み」を使ったアップスタイルで束髪啓蒙活動を始めたのです。
東京女子師範学校の教員や女子生徒が束髪を採用し、女学校を中心に束髪が広まりバリエーションも増え、流行のスタイルも登場するようになったそうです。
もちろん、明治時代の看護婦たちも、軽くて整えやすくアレンジが効いて、しかも油で固めないので洗髪もしやすく実用的な「束髪」を取り入れていったとか。
バーンズ先生の「日本髪は禁止」という命令は、看護婦として実用的かつ衛生的な髪型であることが大切であると教えただけではなく、「看護婦という職業を持った自立した女性を育てる」という意味もあったといわれています。
新しい「職業婦人」のシンボルに
「風、薫る」のドラマ内で、『梅丘女学校』の校長かつ『看護婦養成所』の所長、梶原敏子(伊勢志摩)が、直美のバッサリ肩で揃えたワンレンボブスタイルを見て、びっくりしていましたね。
直美は、「今までの自分」と決別するつもりで切ったのですが、はからずも、衛生的で合理的な近代職業婦人のヘアスタイルを自分で選んだのでした。
直美以外の生徒たちは皆日本髪をやめ束髪にしました。後でツインシニヨンにしたり、三つ編みでカチューシャのようにしたりと、それぞれ束髪になって、より近代的に。
日本髪は自然に俯きがちになり「古風で慎ましい女性」という感じがしますが、束髪になると顎が上がり姿勢もよく颯爽とした感じ。ナースの洋風白いエプロンもよく似合っています。
「新しい職業婦人」というイメージなので、「女に学問も職業もいらん!」な男性たちにとってはこの新しさは脅威に感じるかも……ですね。


