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『豊臣兄弟!』なぜ足利義昭(尾上右近)は信長を見殺しにしたのか?姉川で動けなかった“将軍”の限界[後編]

『豊臣兄弟!』なぜ足利義昭(尾上右近)は信長を見殺しにしたのか?姉川で動けなかった“将軍”の限界[後編]:2ページ目

将軍と守護大名は持ちつ持たれつの関係だった

さて、当初は将軍の信任が厚いという理由で、国内統治を安定させるための地方官であった守護は、時代が進むにつれその様相が大きく変化していきます。

その理由は、尊氏・義詮の時代に南北朝の争乱や観応の擾乱といった戦乱が続き、将軍が勝ち抜くためには守護の軍事力を必要としたからです。

守護たちは将軍の軍事的な期待に応えるために、単なる地方官ではなく世襲による在地領主としての地位を望むようになり、将軍もそれを認めるようになりました。

父が死ねば子や弟が守護職を継ぐ。それが任国における武士との結びつきを強め、守護の軍事力は飛躍的に強大化していき、やがてそれは、守護の大名化へと繋がっていきました。

さらに守護には、所領紛争への介入権や、幕府の判決を現地で強制執行する司法権が与えられます。観応の擾乱の全国波及に伴っては、軍事兵粮の調達を目的に、国内の荘園・国衙領の年貢の半分を徴収できる半済の権利も与えられ、経済的権威も飛躍的に高まったのです。

こうして守護は、任国を世襲支配でき、経済力・軍事力・司法力を有する守護大名へと成長していきます。

やがて将軍の権力を凌ぐほどの勢力を持つようになった守護は、たとえ将軍の命令であっても、自らに利益のないものには従わなくなっていったのです。

そして、有事の際の軍事力を守護大名に頼っていた将軍は、その協力を得られないとたちまちに危機に瀕してしまう。これが、義昭をして援軍を「出さぬではない、出せぬのじゃ」と言わしめた戦国期の足利将軍家の軍事的な弱さの正体でした。

しかし、そのような危機的状況の中でも、室町時代後半は100年以上続きます。そこには、この時代特有の将軍と守護の持ちつ持たれつの関係があったのです。

幕府権力の保持に必要な軍事力を守護大名に依存する将軍。一方で、領国支配の正統性のために将軍の権威を必要とする守護大名。この相互依存関係こそが、室町幕府を長らえさせました。

そして、このような足利将軍家と守護大名の利害関係により成立していた室町時代を終わらしたのが、その関係に捉われない、織田信長であり豊臣秀吉であったのです。

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※参考文献
山田康弘著『足利将軍たちの戦国乱世』中公新書刊

 

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