『豊臣兄弟!』規格外の猛将・藤堂高虎(佳久創)ついに登場!後に豊臣秀長・秀吉に仕える激動の生涯:2ページ目
三人目・良い上司を見つけたと思ったら
三人目の主君は磯野員昌(いそのかずまさ)。
阿閉と同じく浅井から織田へ寝返った武将の一人で、浅井家では勇将として知られていた人物でした。
磯野は高虎の実力を認めて80石(80石の米が取れる領地を与えたという意味。1石は大人1人が1年間で消費する米の量)で召し抱えますが、磯野自身がいまいち精彩を欠き、織田家での立場を失い没落していきます。
そして最終的に、織田信長の甥を養子に取らされるという形で、磯野家は織田家に乗っ取られてしまいます。高虎も、そのまま次の主君に仕えることになったのです。
なお、高虎は後に出世して大名になった後、磯野の一族を家臣として召し抱え、面倒を見ています。
四人目・活躍は認めてもらえたものの
新たに主君となった織田信澄(のぶずみ)の下で、高虎はなんだかんだで活躍をします。そしてその活躍を認められ、親衛隊に抜擢されることになるのです。
「親衛隊になった以上、馬などもしっかりと用意せねば……あれ?」
しかし、領地の追加はありませんでした。
当時の武士は主君から土地を与えられ、そこから得た収入で武器や防具、馬などを自分で用意するのが原則でした。親衛隊になれば必要経費も増えます。が、収入は据え置かれてしまったということです。
「殿、これでは必要経費も賄えません」
直談判するも、信澄からはついに良い返事を得ることができず。見切りをつけた高虎は、信澄の下を去ることにしたのです。
こんな感じで信澄とはイマイチな別れ方をした高虎ですが、本能寺の変によって生じた混乱の中で信澄が命を落とすと、その妻と幼い息子を保護しています。
さらに後年、信澄の息子は豊臣家に仕えて大坂の陣で徳川と敵対します。豊臣家が滅びると囚われの身となりますが、高虎のとりなしによって命を助けられ、最終的には江戸幕府の旗本となって天寿を全うすることができました。
五人目・ついに巡り合った理想の上司
織田信澄の下を去った高虎はしばらくニート生活を送っていたようですが、友人の紹介で羽柴秀長(はしばひでなが)に仕えます。織田信長の重臣であった羽柴秀吉の実弟であり、右腕として兄を支えていた人物です。
秀長は高虎の実力を高く評価し、300石で彼を召し抱えます。
「いきなり給料が3倍に!」
感激した高虎は秀長のために全力を尽くすことを誓います。1576年、高虎が20歳の時でした。
その誓い通り、ある時は戦場で、ある時は行政官として、ある時は外交官として働いた高虎はその活躍を認められ、誰もが認める秀長の重臣にまで昇り詰めました。与えられた領地も2万石という広大なものになっていました。
秀長の兄・秀吉は天下を統一したために、秀長と高虎の地位もそれに引きずられるようにして上がっていったのです。
しかし1591年、敬愛する上司・秀長は多くの人に惜しまれながら病死(享年52)。後を継いだ秀保(ひでやす)も1595年には夭折(享年17)し、秀長の家系は断絶してしまいます。
「もはやこの世に未練はない。僧になって秀長さまの冥福を祈ろう」
世を儚んだ高虎は出家を決意し、高野山に登ったのでした。しかし、高虎ほど有能な士を、世間は放っておかなかったのです。
なお、高虎は秀長を生涯にわたって慕い続けたようです。江戸幕府成立後も幕府の許可を得て、秀長の法事を営み続けていました。
