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朝ドラ【風、薫る】大山捨松が輝いた『鹿鳴館』はなぜ4年で終わった?西洋化への反感と風俗の乱れ

朝ドラ【風、薫る】大山捨松が輝いた『鹿鳴館』はなぜ4年で終わった?西洋化への反感と風俗の乱れ:3ページ目

華やかな社交の場として4年間続いた「鹿鳴館時代」

鹿鳴館は、明治16年(1883)に、長州藩における討幕運動の中心人物として活躍した井上馨によって建設されました。

イギリス人の建築技師、ジョサイア・コンドル(※)の代表作として有名ですが、創建時の姿形を伝える設計図面などの建築資料は少ないそうです。

着工は、明治13年(1880)頃、約2年間で完成した鹿鳴館は、客室、舞踏室、食堂、ビリヤード室などを備えた2階建ての洋館で、外務省が各省から集めた公費約14〜18万円(現在の数十億円ほどに相当するとか)を投じて建設されたものです。

国賓や外交官などを接待する華やかで贅沢な社交の場として使用された鹿鳴館を中心とし欧化主義が広まった明治16年(1883)〜明治20年(1887)の4年間は、『鹿鳴館時代』と呼ばれています。

明治16年11月28日には、1200人もの招待客を招いての祝宴が行われ、以降、接待や舞踏会、祝賀行事などを行う場所となりました。

※ジョサイア・コンドル:鹿鳴館のほかにも高輪の三菱関東閣・三田綱町の三井倶楽部・ニコライ堂などを手掛ける

歴史的な有名人の仮装パーティー「ファンシー・ボール」

「鹿鳴館時代」に行われたイベントで有名なのが、明治20年4月20日に行われた仮装舞踏会「ファンシー・ボール」です。

鹿鳴館ではなく伊藤博文内閣総理大臣官邸で行われたもので、外交や条約改正とは直接関係のない催しだったものの、350人が招待されました。

仮装の衣装は、歴史的な西洋の衣装・欧州や東洋の民族衣装・日本の歴史上の人物や歌舞伎風に分かれていたそう。

伊藤博文夫妻はヴェネツィアの貴族、井上馨は三河萬歳芸人、山縣有朋が奇兵隊の隊士、鍋島直大夫妻は18世紀フランス貴族、渋沢栄一は歌舞伎の登場人物などの仮装をしたとか。

このイベントは、当時の国粋主義者の間で「亡国の兆し」と罵られ、海外への渡航歴がある勝海舟でさえ、憂国の感を深めました。

西洋文化の模倣ではなく、国内の基盤整備や独自の軍備の重要性」をと、説いた建白書を政府に提案したそうです。

4ページ目 西洋化への反感や風俗の乱れなどで4年間で衰退

 

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