朝ドラ「風、薫る」孫娘との悲しい別れを経験…りんの母・美津(水野美紀)のモデル、大関哲の生涯:2ページ目
娘の結婚と離婚!孫たちを守り支えたのは哲だった
哲の人生はまたもや大きな転機を迎えます。
明治9(1876)年、次女・和が渡辺福之進豊綱と結婚。福之進は元黒羽藩次席家老の次男でした。
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当時は陸軍に仕官しており、家柄の面を見ても何ら不足のない縁談話に見えます。しかし福之進には妾が5人おり、しかも子供も5人いました。そのため、和が生んだ「長男」には「六郎」と名付けられます。
結局、4年ほどで和の結婚生活は破綻。明治13(1880)年には長男・六郎と長女・心(しん)を連れて婚家を出ています。
明治19(1886)年、和は桜川女学校附属の看護婦養成所に入学。学生寮で暮らし、日本で初となるトレインドナース(正規の訓練を受けた看護婦)となるべく学び始めます。
このとき、孫の六郎と心の養育を担ったのが哲でした。
明治21(1888)年、和は看護婦養成所を卒業。帝国大学医科大学附属第一病院(東京大学医学部附属病院)で外科看病婦取締(看護婦長)として働き始めます。
しかし当時も看護婦は激務ですから、子供達の時間が十分であったとは思えません。
明治23(1890)年には、和は新潟県の高田にある高田女学校の舎監の職に転じ、以降6年間にわたって再び子供達と離れて暮らすこととなりました。やはり六郎と心のそばには哲がいたようです。
しかし哲にとって悲しい出来事が起こりました。
明治33(1900)年、看護学校に通っていた孫娘の心が結核を患って病没。わずか20歳の若さでした。
明治43(1910)年には孫の六郎が、聖書の販売先で訪れたジャワ島でマラリアに感染して病没。33歳でした。
このとき、哲は愛する孫二人を失ってしまったのです。
その後、哲は六郎の子供時代のことを思い出しては涙を流していました。
大正元(1912)年、哲は世を去ります。
古い時代に生まれ、誇りを胸に生き、愛する者を守りながら、ただひたむきにいきた人生でした。
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