『豊臣兄弟!』あの足利義昭 側近は誰?義昭と信長に仕え架け橋となった武将・和田惟政の壮絶な生涯:2ページ目
決死の覚悟で義昭を救出
義輝の暗殺を知った惟政は、同じく幕臣である細川藤孝らと共に、奈良の興福寺へ走りました。
そして出家していた義輝の弟・覚慶(かくぎょう/かくけい。後の義昭)を軟禁状態から救出。近江国甲賀(滋賀県甲賀市)または矢嶋(同県守山市)で保護したと言います。
将軍の弟である覚慶こそが、室町殿の後継者に相応しいでしょう。そこで惟政は南近江の六角義賢(ろっかく よしかた)に会い、義昭を奉じて上洛するよう説得しました。
一時は六角を味方につけ、浅井長政や斎藤竜興・織田信長らを引き込もうとします。
しかし六角や斎藤らが離反したことから近江国にいられなくなり、義昭は妹婿である武田義統(よしむね)を頼りに若狭国へ逃亡。もちろん惟政も従いました。
上洛そして「都の副王」に
永く不遇をかこっていた義昭主従は、11年(1568年)9月、信長の庇護を受けて上洛します。
三好三人衆を蹴散らして同年10月には京都へ入り、義昭は第15代将軍となったのです。苦節3年、ようやく思いが実った瞬間でした。
惟政は摂津国芥川城主となり、池田勝正や伊丹親興(いたみ ちかおき)と共に摂津三守護と呼ばれるほどの勢力を築きます。
翌永禄12年(1569年)には芥川城を家臣の高山飛騨守(高山右近の父)に預け、自身は高槻城に移転しました。
このころ来日した宣教師からは「都の副王」と呼ばれており、実質的に室町幕府の副将軍的な存在となっていたようです。

