『豊臣兄弟!』直を失った小一郎は何を誓ったのか――竹中半兵衛の知略と斎藤龍興の末路…第9回振り返り:2ページ目
逃亡した斎藤竜興の末路は
永禄10年(1567年)8月、美濃三人衆(安藤守就・稲葉良通・氏家直元)が織田に内通したため、ついに稲葉山城を追われてしまった斎藤竜興。当時20歳、その後大名に復帰することはありませんでした。
木曽川を下って伊勢長島(三重県桑名市)へ逃亡、同時期に信長が伊勢長島へ兵を出しているため、竜興を追ってきたのかも知れません(諸説あり)。
機内へ逃げ込んだ竜興は三好三人衆(岩成友通・三好宗渭・三好長逸)と連携して信長に対抗、さらに石山本願寺などの支援を受けながら戦い続けます。
その後、越前国の朝倉義景(鶴見辰吾)を頼って客将として遇されました。元亀3年(1572年)には美濃奪還作戦を決行するも、肝心の朝倉勢が雪のために撤退。仕方なく越前へ撤退します。
翌天正元年(1573年)8月に朝倉・浅井長政(中島歩)と共に出陣し、近江国北部で信長と対決しました。しかしここで氏家直昌(なおまさ。直元の嫡男)によって討ち取られてしまいます。
本作においては、しぶとく抵抗を続ける様子が描かれるのか、濱田龍臣の熱演に期待しましょう。
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