鎌倉時代は本当に“武士の時代”だったのか? 財政から見えた武家政権の悲しい現実とは:3ページ目
武家の限界
幕府の致命的な欠陥は、朝廷のように全国から安定して税を集めるシステムを持たなかったことです。
財源が乏しいということは、自前の軍隊を維持できず、御家人たちへの恩賞も満足に用意できないことを意味します。
鎌倉幕府が短命に終わり、室町幕府が混乱を繰り返したのも、この構造的な弱さが原因でした。幕府は国家財政を掌握するレベルには達しておらず、常に破綻寸前の運営が続いていたのです。
やがて地方の豪族たちは、自分たちを守ってくれない幕府に見切りをつけ始めます。彼らは独自に力を蓄え、やがて戦国大名へと成長していくことになりました。
つまり、日本が戦国時代へ突入したのは、強力な武士が生まれたからではありません。財政基盤という屋台骨を持たない幕府の未熟さが、混乱を招いたと言えるでしょう。
武家政権の歴史とは、自前の財布を持たない司令部が、必死に国家を私物化しようとした歴史でもあります。彼らは最後まで、本当の意味での中央政府にはなれなかったのかもしれません。
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参考資料:大村大次郎『脱税の日本史』宝島社、2024年
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