常軌を逸した“子作りへの執着”…江戸時代の俳人・小林一茶の壮絶な老年期と最期:2ページ目
再婚・離縁・またセックス
一茶の子どもはその後もどんどん生まれたのですが、なぜかどの子もすぐに亡くなりました。文政二年には第二子・さとが、文政四年には第三子・石太郎が、文政六年には第四子・金三郎が死去しています。
とくに第三子は、菊が背中におぶっている間に絶命しており、一茶は「お前が窒息死させた」と妻を責めたといいます。
九年間で四度の妊娠出産を経験した菊は、ついに亡くなりました。
すると六十二歳の一茶はすぐに武家出身の雪と再婚しますが、半年で離縁しています。この頃の一茶は脳梗塞を繰り返し、半身不随で言語障害も進んでいました。
さらに村を襲った大火で、新築したばかりの家も焼失。一茶の生活は急激に困窮し、老年期は坂を転げ落ちるように厳しさを増していきます。
それでも一茶は妻と子を求め続け、文政九年にはやおという幼い子連れの女性が世話係としてあてがわれました。
一茶は彼女と朽ちかけた土蔵で暮らします。世話係と言っても単あるヘルパーではなく、一茶は彼女ともまた性交を続けました。
彼らが過ごしたのは、夏にはホタルが見えるほど隙間だらけの建物だったといわれており、信州の冬をどう凌いだのかは想像がつきません。
