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【豊臣兄弟!】戦国の母・お市(宮﨑あおい) 自害で幕を閉じた悲劇と、三姉妹を生かすため選び続けた生涯

【豊臣兄弟!】戦国の母・お市(宮﨑あおい) 自害で幕を閉じた悲劇と、三姉妹を生かすため選び続けた生涯:2ページ目

再婚に込められた現実

1582年、本能寺の変で織田信長が倒れると、織田家の内部は急速に不安定になります。その中で、お市の方は柴田勝家と再婚します。この婚姻は、感情よりも政治的な意味合いが強かったと考えられています。

再び、有力武将の正室として、政局の中心へ。当時の情勢を考えれば、それが娘たちを守るための現実的な選択だった可能性は高いでしょう。

実は秀吉が仲介だった!?お市の方と柴田勝家が結婚した理由

織田信長の妹として知られるお市。政略結婚として浅井長政に嫁ぎ、浅井家滅亡後に織田家側へ戻り、その後、柴田勝家と再婚します。やがて賤ヶ岳の戦い後、勝家とともに北ノ庄城で最期を迎えました。今回はお…

北ノ庄城での最期

1583年、羽柴秀吉と柴田勝家の対立は決定的となります。賤ヶ岳の戦いで勝家が敗れ、北ノ庄城は包囲されました。

最終的に、勝家とお市の方は城内で自害したと伝えられています。お市の方は、37歳前後で生涯を終えました。

三人の娘を秀吉のもとへ送り助命を願ったという話もありますが、これは後世の記述による部分が大きく、史実としては慎重に扱う必要があります。

実はある「お市生存説」

一方、お市の方には生存説も存在します。それは、北ノ庄城が落城する前夜、お市は城の裏手を流れる川から脱出し、勝久寺(現在の福井県坂井市三国町)へと落ち延びたという説です。

また、三国湊の豪商・森田家に匿われたとも伝えられています。森田家は、織田信長を財政面で支えた商人の一人でした。その後、旧浅井家家臣の手引きによって近江国へ移り、お市は50歳前後まで生き延びた――何ていう話もあるようです。

ただし、この説を裏づける同時代史料は確認されていません。

母の強さは、目立たない

お市の方自身は、政治の前面に立った人物ではありません。しかし、娘たちは違いました。

茶々は豊臣秀吉の側室となり、秀頼を産み、豊臣政権後期に大きな影響力を持ちます。初は京極高次に嫁ぎ、大坂の陣では和睦に関わったとされます。江は徳川秀忠の正室となり、将軍家と皇室をつなぐ系譜を残しました。

結果として、お市の方は、血縁によって複数の政権を結びつけた存在となりました。母の強さとは、何かを成し遂げることではなく、選択肢が少ない中で、それでも選び続けることなのかもしれません。

お市の方は、正解を知っていたわけではありません。ただ、その時その時で、娘たちが生き延びる可能性のある道を選び続けただけでした。それが、戦国時代を生きた一人の母の、とても現実的で、人間らしい強さだったのだと思います。

織田信長の妹「お市の方」は人知れず情報を集める信長直下の女スパイだった説

織田家と浅井家の同盟を締結するために結ばれた織田信長の妹・お市の方と浅井長政。二人は政略結婚でありながらも仲睦まじい夫婦生活を送っていたことで知られています。ところが、1573年のこと、長政は…

参考文献

 

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