【豊臣兄弟!】“仮病の見舞い”で信長の罠に…弟・織田信勝、史実が伝える無情な最期:2ページ目
母のとりなしで赦免されるが……
さて、信勝は信長を織田家の次期当主として認めず、独自の行動をとって信長と織田の家督と権益をめぐる争いを繰り広げました。
他にも織田信友(のぶとも。大和守)や織田信光(のぶみつ。信長叔父)、織田信時(のぶとき。安房守)らが争いに加わりましたが、一人また一人と脱落。信長と信勝だけが、家督争いの舞台に残ったのです。
やがて弘治2年(1556年)に信長の舅であり支援者であった美濃の斎藤道三が、嫡男の斎藤義龍(DAIGO)に討たれると、尾張国内の各勢力が打倒信長で連携します。
苦境に立たされた信長にとどめを刺そうと、信勝は柴田勝家(山口馬木也)や林秀貞(諏訪太朗)、林美作守(みまさかのかみ)らを味方につけて挙兵しました。
同年8月に稲生(いのう。名古屋市西区)で両雄は激突しますが、信勝は2倍以上の兵力を備えながら、信長に逆転負けを喫してしまいます。
敗走した信勝は末森城(名古屋市千種区)に立て籠もり、信長に包囲されましたが、生母・土田御前のとりなしによって赦免されました。
しかしその後も信勝は信長を敵視し続け、永禄元年(1558年)に入ると今川義元(大鶴義丹)や織田信安(のぶやす。伊勢守)らと連携する動きを見せます。
また信勝家中では衆道(男色)関係にあった津々木蔵人(つづき くらんど)を寵愛して柴田勝家らを遠ざけ、勝家らを粛清しようとさえしていました。
勝家らに見限られた信勝は、仮病を装った信長の見舞いに清洲城を訪れ、そのまま殺されてしまったのです。
終わりに
……是より信長作病を御搆にて一切而へ無御出御兄弟之儀候間勘十郎殿御見舞可然と御袋様並柴田権六異見申に付て清洲へ御見舞に御出清洲北矢蔵天主次之間にて
弘治四年戊午霜月二日
河尻青貝に被仰付後生害なされ候……
※『信長公記』廿五「家康公岡崎の御城へ引取之事」
【意訳】信長は仮病を患い、政務をとれなくなってしまった。「お見舞いに行かれるのがよいでしょう」と土田御前と柴田勝家が進言したため、信勝は清洲城へ信長を見舞いに訪ねる。すると北櫓天守にある次の間へ通され、信長の命を受けた河尻秀隆(かわじり ひでたか)と青貝某(あおがい)の手で殺された。
今回は信長の弟である織田信勝について、その生涯をたどってきました。稲生の決戦に敗れて母親に命乞いをしてもらい、なおも野望を捨てきれない図太さを備えていたようですね。
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では回想シーンで登場するようですが、人物紹介を見る限りでは大幅にアレンジが加えられることでしょう。
果たしてどのような信勝像が描かれるのか、中沢元紀の好演に期待です。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」でのプロフィール
■織田信勝 / 中沢 元紀
おだ のぶかつ / なかざわ もとき信長の弟
元は仲のいい兄弟だったが、父・信秀が亡くなると、信勝を擁立しようとする家臣たちに担がれる形で兄への謀反を企て……。※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
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※参考文献:
- 谷口克広『織田信長家臣人名辞典 第2版』吉川弘文館、2010年10月



