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【豊臣兄弟!】“寝返り” 秒読みな佐久間盛重…史実では織田信長に最後の注進、丸根砦で迎えた最期

【豊臣兄弟!】“寝返り” 秒読みな佐久間盛重…史実では織田信長に最後の注進、丸根砦で迎えた最期

大河ドラマ『豊臣兄弟!』第3回放送「決戦前夜」で、今川義元(大鶴義丹)に寝返ろうとしていた佐久間盛重(金井浩人)。いつまでも動かない織田信長(小栗旬)に愛想を尽かし、

「やはりうつけはうつけ。信勝様(亡き信長の弟)の方がよかったか」

などと毒づいていましたが、実は桶狭間の“決戦前夜”、信長を動かしたのは佐久間盛重でした。丸根砦の守備で討死した人物として、史料『信長公記』に名が残ります(異説あり)。

今回は『信長公記』の記録をもとに、織田信長に仕えた佐久間盛重の生涯をたどります。

桶狭間の合戦で、丸根砦を守って討死

佐久間盛重は生年不詳、佐久間盛経(もりつね)の子で、通称は大学(大学允→大学助)と言いました。

大学允(だいがくのじょう)とは律令制下に設置された官僚養成機関「大学寮」の三等官(じょう)で、大学助(~すけ。介とも)とは同じく二等官(すけ)を指します。

朝廷から正式に任官された訳ではない自称ですが、奉公を重ねる中で三等官から二等官へ出世したのでしょう。

織田家には信長の父である織田信秀(のぶひで)の代から仕えており、天文18~21年(1549~1552年。諸説あり)に信秀が亡くなると、信長の弟である織田信勝(のぶかつ。中沢元紀)に仕えます。

……御舎弟勘十郎(信勝)公家臣柴田権六佐久間大学……

※『信長公記』首巻九「備後守(信秀)病死之事」より。

やがて信長と信勝が対立すると、同族である佐久間信盛(菅原大吉)らと共に信長へ鞍替えしました。そして信勝に与した柴田勝家(山口馬木也)や林秀貞(諏訪太朗)らに備えて名塚砦の守備を担当します。

……名塚と云所に御取出被仰付佐久間大学入をかれ候……

※『信長公記』首巻十八「勘十郎(信勝)殿林柴田御敵之事」より。

弘治2年(1556年)の稲生合戦では砦を死守して敵将の橋本十蔵(はしもと じゅうぞう)を討ち取る武功を立てました。

……林美作頸は 織田上総介信長討とり給ふ 録田助丞 津田左馬丞討とる 富野左京進 討とる 山口又次郎 木全六郎三郎討とる 橋本十蔵 佐久間大学討とる 角田新五 松浦亀介討とる 大脇虎蔵 かうべ平四郎……

※『信長公記』首巻十八「勘十郎殿林柴田御敵之事」より。

子供には佐久間重定(しげさだ。弥太郎、佐渡守)や女子たち(新庄直頼室・佐久間盛政室)がいます。

さて、永禄3年(1560年)5月の桶狭間合戦において、佐久間盛重は丸根砦(愛知県名古屋市緑区)の守備を担当しました。

……丸根山には 佐久間大学をかせられ……

※『信長公記』首巻廿三「鳴海之城へ御取出之事」より。

鷲津砦(わしづとりで。同市同区)や善照寺砦(ぜんしょうじとりで。同市同区)と連携して今川軍の牽制を図りますが、松平元康(松下洸平)に攻められて砦は陥落。佐久間盛重は討死してしまったのです。

異説として『三河物語』では「打もらされて落て(討たれずに逃亡して)」行ったとありますが、その後の記録はありません。

2ページ目 佐久間盛重の最後の注進で、信長立つ!

 

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