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大河『べらぼう』がギャラクシー賞を受賞!“べらぼうロス”が今だに絶えず人々の記憶に残り続ける理由

大河『べらぼう』がギャラクシー賞を受賞!“べらぼうロス”が今だに絶えず人々の記憶に残り続ける理由:3ページ目

余裕がなければ文化は買えない。現代の社会問題とリンク

また、べらぼうの余韻が続いているのは、現代と同じ社会問題とリンクしていたことも理由でしょう。

あまりにも内容がタイムリー過ぎていて、脚本家の森下さんは「タイムワープで現代を見てそれを話に取り込んだようだ」とか「まるで現代社会のようで怖い」などとも言われていました。

筆者が一番リアルに感じたのは、天明の大飢饉、米相場の暴騰のとき。

「米がない」「米の値段が去年の倍だよ」など、まるで、令和の現代そのままの状況で、江戸では、お上の指示通りの価格で米を売る米屋に長蛇の列ができ、買えなかった人々に責められる騒ぎが起こります。

そんな状況を見ていた蔦重の「俺らに何かできることはねえですかね。米に困っちゃ本なんて買ってもらえねぇだろうし」というセリフは、まさに「数百年後の現代もまったく同じなんだよ、蔦重!」と言いたくなってしまいました。

物価高で生活苦の状態では、娯楽やエンタメにお金も時間もかけられない。

心や感性を育てる文化的に豊かな社会は、まずは衣食住が満たされてのこと……この問題は時代が変わっても、これは変わりません。

最近、東京の老舗書店が「本の値段をあげてください。書店としての切実な願いです」と言っている記事が話題になりました。

確かに、紙代、印刷代、人件費、もろもろ値上がりしている中で値上げをしたいのはごもっともでしょう。

けれど、年々、高価になっていく紙の書籍は、食費などの生活費、保険料、税金などを支払わなければならない庶民としては、どうしても買い控えせざるおえないことも。

文化を売る側も買う側も、不景気な社会で悩むのは蔦重の時代と同じです。

そんな江戸時代の市井に生きる人々と、現代に生きる我々との状況がリンクしているため、“刺さる場面やセリフ”がずっと心の中に残り続けているのでしょう。

4ページ目 「米ひとつぶ作れねえ、この世の役立たず」

 

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