【豊臣兄弟!】徳川家康(松下洸平)の妻になる豊臣 妹・あさひ(倉沢杏菜)との出会いと儚い結婚の結末:3ページ目
短かった家康との結婚生活で幸せな時はあったのか
天正14年(1586)5月ごろ、あさひは浅野長政・富田知信・津田四郎左衛門・滝川儀太夫などの豊臣の家臣らを従え150名あまりの花嫁行列で京を出発。三河西野を経て、浜松に入り、家康の正室として嫁ぎました。
当時、家康は45歳、あさひは44歳。ほぼ同じ歳。嫁いだあと、あさひは、朝日姫、駿河御前と呼ばれるようになりました。
結婚してから2年ほどたった頃、病になった母・なか(大政所)のために大坂へ戻ります。ところが、聚楽第にて看病に尽力するも自身も病に倒れてしまいます。
そして、天正18年(1590)頃、あさひは母よりも先に48歳で亡くなりました。家康との結婚はわずか4年という短いものでした。
家康とあさひの結婚生活が実際にどのようなものだったのかを克明に記述した史料などはないようです。ただ、家康も政略結婚とはいえども、嫁いできたあさひにはかなり配慮をしていたようで、丁重に扱っていたという話もあります。
ドラマでは、元気いっぱいな倉沢あさひは、彼女が自分の意思では選ぶことのできない運命が待ち受けているとは信じられないようなイメージですが、これから松下家康との関係はどのように描かれていくのでしょうか。
天下人の妹という立場は、栄誉であると同時に、逃れられない重荷を背負います。
家康と出会ってからのあさひの人生はあまりにも短く、記録も少ないそう。
けれども、彼女もまた、豊臣政権を支える一部として生きた確かな存在でした。

