【豊臣兄弟!】徳川家康(松下洸平)の妻になる豊臣 妹・あさひ(倉沢杏菜)との出会いと儚い結婚の結末:2ページ目
家康との関係強化のためあさひを政略結婚に
あさひに関しては、具体的な史料などはあまり残されていないようです。
時期は不明なのですが、尾張の地侍・佐治日向守(※農家に嫁いだ織田の家臣に嫁いだなど諸説あり)に嫁いだのですが、夫婦仲もよくごく普通の幸せな結婚生活を送っていたと伝わっています。
ところが、そんなあさひに大きな転機が訪れます。
きっかけとなったのは、天正12年(1584)の「小牧・長久手の戦い」(※)でした。
信長の死後、その後継者争いが続く中、秀吉は織田信雄・家康連合軍と対立し膠着状態が続いていましたが屈服させ、さらに家康との関係を強化するため、秀吉はあさひを嫁がせることにしたのです。
そこで、秀吉はあさひの夫・日向守に500万石の加増を条件に離婚をさせたとか。
あさひと日向守の心中はいかばかりだったか……想像するしかありませんが、あさひとしては兄秀吉の命を受け、敵対勢力の大将のもとに嫁ぐという重責から、逃げたり自分の希望を述べたりなどはできなかったことでしょう。
夫・日向守は、その後に自殺した、剃髪して隠居したなどの説がありますが、本当のところは定かではありません。
当時の家康は多くの側室を抱えていたものの、正室の築山殿を家臣に殺害させた後、正式な正室を置いませんでした。そこで、秀吉はあさひを家康の正室に(事実上の人質として)嫁がせたのです。
ただし、最近では、家康のほうからあさひを望んだと言う説もでてきているようです。
※小牧・長久手の戦い:天正12年(1584)3月〜11月にかけて、羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦い。
