『豊臣兄弟!』で織田信長と敵対していた織田伊勢守(織田信安)は何者?敗れ去った末路を紹介:2ページ目
息子に追放され、伊勢守家が滅亡
天文22年(1553年)3月27日、信長と内通した疑いで家老の稲田大炊助(おおいのすけ)を粛清しました。
弘治2年(1556年)に美濃の斎藤義龍(DAIGO)が父の斎藤道三を討って国を奪うと、信安はこれに呼応。信長に対する敵意をむき出しにします。
同年に末森城主の織田信勝(信長弟・信行)が信長に叛旗を翻すと、信安はこれに加勢しました。
しかし信勝は永禄元年(1558年)に謀殺され、なおも信長に抵抗したものの、間もなく長男の織田信賢(のぶかた)によって岩倉城から追放されてしまいます。
これは信安が信賢を廃嫡して次男の織田信家(のぶいえ)を後継者にしようと考えていたからでした。
信賢は独自に信長と戦ったものの、あえなく攻め滅ぼされてしまいます。かくして織田伊勢守家(岩倉織田家)は滅亡してしまいました。
