【豊臣兄弟!】桶狭間の戦いで何をした?史実で追う藤吉郎・小一郎の“裏の働き”の真相:2ページ目
藤吉郎は実戦ではなく諜報活動に勤しんでいた?
生駒家は、染料に使う灰や灯火用の油を扱い、さらに馬借・車借といった運送業まで営む商人でした。
その一方で、小折城(現在の愛知県江南市)を居城とする領主でもあったのです。つまり生駒家は、「武家」と「商人」という二つの顔をあわせ持つ存在だったわけですね。
灰や油はいずれも当時の生活には欠かせない貴重品で、大きな利益を生み出す商品でした。また、馬借・車借は、依頼された荷物を馬や牛で各地へ運ぶ仕事で、いわば現代の運送業のようなものです。
小折城は単なる生駒家の本拠地にとどまりませんでした。全国から商人たちが取引のために集まる物流拠点であり、さらに各地の情勢や情報が自然と集まる情報センターの役割も果たしていたのです。
藤吉郎が生駒家に身を寄せていた頃、生駒家と同郷の蜂須賀小六(正勝/演:高橋努)や、生駒家と親戚関係にあり、さらに小六の義兄弟でもあった前野将右衛門(長康)と知り合ったといわれています。
彼らはのちに豊臣政権を支える重要な家臣となり、そろって大名へと出世していきました。
「桶狭間の戦い」では、吉乃の兄である生駒家永が出陣し、その戦功によって信長から安堵状を与えられます。これによって生駒家は、信長の領内である尾張で自由に商売を行う特別な許しを得ることになりました。
一方、『武功夜話』には、小六や将右衛門が土民に変装し、今川軍の動きを探る諜報活動にあたっていたという記述が残されています。
ところが戦後、彼らは信長から十分な恩賞を得られなかったことに不満を抱き、あえて信長には仕えず、秀吉の家臣となったと伝えられているのです。
この経緯を踏まえると、小六や将右衛門は生駒家の一員として諜報活動をしていたため、信長から直接評価される立場になかった可能性も考えられます。
また、当時まだ身分の低かった藤吉郎の配下となる道を選んだという事実も、なかなか興味深いところです。
これは、信長の命を受けた藤吉郎が織田家の立場を背負いながら、小六や将右衛門とともに諜報や情報収集に深く関わっていた可能性を示しているのではないでしょうか。
『豊臣兄弟!』第4回では、今川側に寝返ろうとした佐久間盛重(演:金井浩人)を討った簗田政綱(演:金子岳憲)を信長は功労第一とします。史実でも政綱は、忍びの者を使って今川軍の動向を探り、その動きを信長本隊に知らせていました。
「桶狭間の戦い」における信長の基本戦略は、今川軍を自領深く誘い込み、戦力を分散化させたうえで野戦で叩くというものでしたので、義元本隊の動向を掴むための諜報活動をなにより重要視していたのです。
このように考えたうえで想像をふくらませれば、藤吉郎を支える立場として、弟の小一郎もまた、藤吉郎らが行った諜報活動の一端を担っていたのではないか、そんな可能性すら思い浮かんできます。
もちろん、ここまで述べてきた内容には、筆者の私説や推測も多く含まれています。
しかし、「桶狭間の戦い」のすぐ後に、小一郎が藤吉郎と行動をともにするようになったこと。
そして、秀吉よりも高い身分であった地侍層の小六や将右衛門が、その後、秀吉の配下となっていったという事実を考えると、決して荒唐無稽な話とも言い切れないのではないでしょうか。
ともあれ、今後の『豊臣兄弟!』の展開と、藤吉郎・小一郎兄弟のさらなる活躍が、ますます楽しみですね。
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