「幕末期の金流出=幕府の失策」は本当か?!史料をもとに“100万両流出”の真偽を検証:2ページ目
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どのくらい流出したのか
また、実際に流出した量についても誤解があります。
かつてはこの流出金額について「100万両」という大きな数字が語られていましたが、近年の研究ではこの数字は大幅に修正されています。
50万両説、30万両説を経て、現在ではジャーディン・マセソン商会などの史料から、10万両から15万両程度が妥当とされているのです。
現に、教科書でも今では「1万両以上が流出した」と控えめな記述に変わっています。
そもそもこの問題は、1860年の万延小判への改鋳によって解決していました。従来の天保小判に比べて金の含有量を大幅に減らしたことで、日本国内の金銀比価を国際水準に近づけたのです。
これにより、金のさらなる流出はほぼストップしました。
ただし、この改鋳は貨幣価値を下げる結果となり、物価上昇を招く副作用も生じました。
幕末の金流出は、確かに経済に動揺を与えました。
しかし幕府が無知で無策だったわけではなく、流出期間も短く、規模も後世の誇張ほど大きくなかったというのが、今の歴史研究の共通した見方です。
「100万両流出」という印象的な物語は、明治以降の、江戸幕府の政治を貶めようとする政治的方策や戦後の歴史観によって膨らんだ側面が強いと言えるでしょう。
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参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia
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