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幕末期、すでに幕府は「開国」路線を決めていた——大老・井伊直弼の独裁と見るのが誤りである理由

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先走りによる調印

さてその後、井伊直弼が大老に就任した主な理由は、実は開国問題ではなく将軍後継問題の方でした。

そもそも大老は緊急時に置かれる役職です。井伊は譜代大名中心の幕政回復を目指し、一橋慶喜を推す勢力を抑え、家定の意向を守るために抜擢されたのです。

開国対応はその後の話です。

井伊直弼はもともと庶子扱いで家督とは無縁で、彦根藩主に就任したのも偶然です。そのためしがらみのない考えの持ち主だったものの、一方で保守的な価値観も持っていました。

教科書では「井伊直弼が勅許なく(朝廷の許可なく)通商条約を結んだ」とされがちですが、ここまで見ていくと、実際は違っており、彼はとにかく勅許なしの調印は許さないという姿勢をとっています。

大老就任後の老中会議でも勅許なしの調印に反対したのは井伊と本多忠徳だけで、先にちらっと名前を挙げた岩瀬忠震にも「勅許を得るまで時間稼ぎをせよ」と命じています。

ところが岩瀬は早期調印をもくろんでいたので、延期交渉に失敗したとしてハリスと調印してしまいました。勅許なく通商条約が結ばれたのは、開国派の幕僚が先走ったのが真相に近いのです。

開国は井伊直弼の独断ではなく、幕府全体の既定路線でした。阿部正弘の時代から準備が進み、井伊はその路線を引き継いだだけだったのです。

大老就任の主因は後継問題であり、あくまでも彼自身は開国については慎重派でした。

よって、よくあるように幕末政治を井伊直弼の独裁と見るのは誤りです。幕府内部の長期的な政策と複雑な権力構造を理解することが、歴史の本質に近づく鍵になります。

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参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia

 

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