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幕末期、すでに幕府は「開国」路線を決めていた——大老・井伊直弼の独裁と見るのが誤りである理由

幕末期、すでに幕府は「開国」路線を決めていた——大老・井伊直弼の独裁と見るのが誤りである理由:2ページ目

放棄されていなかった「鎖国」

ところで、この安政の改革の一環としてみなされている日米和親条約の調印は、最近の教科書では「開国」とは呼ばれていません。

通商を認めていないため、先に運用されていた薪水給与令と大差ない修正にすぎなかったからです。

実際、当時の人々も、日米和親条約によって鎖国が完全放棄されたとは受け取っていませんでした。

しかし阿部正弘は、次の段階では通商開始、つまり本当の開国は避けられないと判断していたので、開国の準備を着実に進めていきます。

彼は朝廷に状況を報告し、鎖国政策の変更には朝廷の許可が必要だと考えました。また、諸大名に意見を求める異例の挙国一致体制も作りました。

さらに江戸湾に台場を築き、大船建造の禁を解くなど、海防と通商に備えた政策も実施。松平慶永・島津斉彬・伊達宗城ら開国派大名と協力し、岩瀬忠震や川路聖謨など有能な実務官僚を登用していきます。

これらの動きは、井伊直弼が登場する前に、幕府が開国路線を固めていた証拠だと言えるでしょう。

3ページ目 先走りによる調印

 

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