幕末のペリー黒船来航の本当の狙い…アメリカは日本の「3つの港」を中継地にしたかった!:2ページ目
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世界史と3つの港
箱館・下田・琉球の3港は、太平洋航路上でほぼ等間隔に並びます。
そしてそれぞれ、箱館は北海道の最北端に近く、捕鯨船が北太平洋で活動する際の補給に最適です。
また下田は伊豆半島の南端にあり、黒潮の流れを利用した中継点として便利です。
最後に、琉球は沖縄に位置し、台湾や中国南部への入り口となります。
この三角形のネットワークができれば、捕鯨船は航海中に疲れた船員を休ませ、燃料や食料を補給し、中国貿易へスムーズに進めるようになるのです。
これについてはペリー自身も『ペリー提督日本遠征記』の中で「休養と疲労回復に大変便利な三つの場所をわれわれは持つことになる」と、この3港の価値をはっきり述べています。
さて、日米和親条約で開かれた港は箱館と下田の2つでしたが、ペリーは琉球の開港も強く求めていました。
琉球はすでに薩摩藩の支配下にあったのですが、アメリカは琉球を独立した王国として扱い、独自の条約を結ぼうとします。こうして琉球は後年正式に開港しました。
これらの事実から見えてくるのは、ペリー来航が単なる外交交渉ではなかったということです。
アメリカの国内経済、捕鯨産業の拡大、中国市場へのアクセス、そして列強間の競争という大きな流れの中で、日本は地理的にかけがえのない位置にあったのです。
黒船の出現は日本にとっては衝撃でしたが、世界史の文脈では、アメリカの市場拡大計画の一環として必然だったと言えます。
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参考資料:
浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia
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