2026年大河『豊臣兄弟!』注目の舞台──豊臣秀吉・秀長、飛躍の契機「本能寺の変」の史跡を巡る【後編】:3ページ目
亀岡から本能寺まで明智軍の進軍ルートをたどる
光秀の京都への進軍ルートは、旧山陰道をたどることとなります。その道筋は、基本的には現代の国道9号線に沿っているのですが、一部は東海自然歩道となるので、訪ねたいポイントを決めてから車やバスを利用するのがよいでしょう。
バスなら京都駅前と老の坂峠・沓掛などのバス停が結ばれており、所要時間は40分~50分ほどです。また亀岡駅から京都駅までのバスを利用すれば、車窓に光秀の進軍ルートを実感することができます。
さて、ここからは京都市内に残る本能寺の変ゆかりの史跡を訪ねてみましょう。現在の本能寺(寺町通御池)は、豊臣秀吉によってこの地へ移された寺院です。したがって、この場所で実際に本能寺の変が起きたわけではありませんが、境内には信長公廟や、本能寺の変で討死にした家臣たちの供養塔が並んでいます。
供養塔には一人ひとりの名が刻まれ、本能寺の変を最も身近に感じられる場所と言っても過言ではないでしょう。また、境内の資料館では、信長遺愛の品々を鑑賞することができます。
一方、実際に激戦の舞台となったのが旧本能寺跡と二条新御所跡ですが、いずれも「跡」であるため、現在は石碑が残るのみです。旧本能寺跡は四条西洞院に位置し、廃校となった本能小学校の旧敷地角に石碑が建てられています。


