手洗いをしっかりしよう!Japaaan

2026年大河『豊臣兄弟!』注目の舞台──豊臣秀吉・秀長、飛躍の契機「本能寺の変」の史跡を巡る【後編】

2026年大河『豊臣兄弟!』注目の舞台──豊臣秀吉・秀長、飛躍の契機「本能寺の変」の史跡を巡る【後編】:2ページ目

また、城跡の南側には城下町が残っており、光秀が城の築造とともに整えた往時の面影を感じることができます。ここには、江戸時代創業の酒蔵や、町家を改装したカフェなどもあり、散策にもおすすめです。

光秀の出自には諸説ありますが、一般には美濃国主・土岐氏の血を引くと考えられています。土岐氏は清和源氏頼光流の多田源氏の一流で、明智氏はその支流にあたります。このような出自から、光秀は家紋として桔梗を用いました。

その家紋にちなみ「桔梗寺」「光秀寺」とも呼ばれるのが、亀岡駅からバスで30分ほどに位置する谷性寺(こくしょうじ)です。同寺の本尊・不動明王は光秀が篤く信仰したと伝えられ、境内には光秀の首塚があります。

伝承によれば、山崎の戦いで重傷を負った光秀は、重臣に「谷性寺の不動明王のそばに葬るように」と遺言し、自らの首を託したといいます。

もしこれが事実であれば、秀吉によって京都で晒された首は偽物ということになるのです。その真偽はさておき、この逸話からは光秀がいかに領民たちに慕われ、追悼されていたかがうかがえるのではないでしょうか。

3ページ目 亀岡から本能寺まで明智軍の進軍ルートをたどる

 

RELATED 関連する記事