【べらぼう】最終回に名前が登場した「傀儡子」実は曲亭馬琴(津田健次郎)のことだった!:2ページ目
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蔦重最期の出版ラッシュ!期待に応えた馬琴&傀儡子
さぁいよいよ蔦重がこの世の暇乞い……ということで、寛政9年(1797年)の新春は、ここぞとばかり出版しました。
山東京伝(古川雄大)
- 黄表紙『和荘兵衛後日話(わそうびょうゑ ごじつばなし)』
- 黄表紙『虚生実草紙(うそからでたまことばなし)』
曲亭馬琴
- 黄表紙『竜宮苦界玉手箱(りゅうぐう くかいのたまてばこ)』
- 黄表紙『北国順礼唄方便(ほっこくじゅんれい うたのほうべん)』
- 黄表紙『楠正成軍慮智輪(くすのきまさしげ ぐんりょのちえのわ)』
傀儡子(馬琴)
- 黄表紙『武者合天狗俳諧』
- 黄表紙『彦山権現誓助剣』
蔦唐丸(蔦重)
- 黄表紙『身体開帳略縁起(しんたいかいちょう りゃくえんぎ)』
石川雅望(宿屋飯盛。又吉直樹)
- 儒教書『孝経平仮名附(こうきょう ひらがなづけ)』
- 儒教書『絵本二十四孝(えほん にじゅうしこう)』
その他
- 狂歌本『狂歌柳の絲(きょうか やなぎのいと)』
- 狂歌本『友なし猿(ともなしざる)』……等々。
よくぞここまで出したものですが、特筆すべきはやはり馬琴の多作ぶり。自身と傀儡子の両名義合わせて5冊を出しています。
劇中でも蔦重に対して「俺は書くぞ!貴様の花道を飾ってやる!」と熱く宣言していましたが、口だけでなく、実力で期待に応えたのでした。
終わりに
今回は大河べらぼう最終回に名前だけ登場した傀儡子について、その正体と作品を紹介してきました。
「傀儡好きの大名」こと一橋治済(生田斗真)を連想させる名前でしたが、曲亭馬琴の別名義(同一人物)だったのですね。
蔦重の死後、馬琴はさらなる飛躍を遂げますが、その原動力は蔦重の死を悼む思いだったのでしょうか。
大河べらぼうは終わっても、江戸時代に活躍したクリエイター達の魅力が色あせることはありません。また他の人たちについても、紹介したいと思います。
※合わせて読みたい↓
『べらぼう』最終回、1年間の壮大な黄表紙“蔦重栄華乃夢噺”が完結。チーム蔦重の絆と愛を考察【前編】
「なら死ぬな」「合点承知」最期の時が近づいてきた蔦重(横浜流星)の背中に手を回し、歌麿(染谷将太)が笑顔でかけた言葉。「死ぬな」は、過去、何度も蔦重が歌麿にかけた言葉です。「なら死…
※参考文献:
- 太田記念美術館学芸部 編『蔦屋重三郎と天明・寛政の浮世絵師たち』浮世絵太田記念美術館、1985年2月
- 麻生磯次『人物叢書 滝沢馬琴』吉川弘文館、1987年10月
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