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新選組=“剣豪集団”は誤解!西洋戦術、斬らずに捕縛、近藤勇は政治家…最新研究の成果で見えた実像

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近藤勇の実像

近藤勇の人物像についても見直しが進んでいます。

彼は農家の三男として生まれ、剣術を学んで近藤家の養子となり、天然理心流の後継者になりました。

試衛館で土方歳三沖田総司と出会ったのは有名な話です。

あの、頑固そうないかつい顔立ちの有名な肖像から、いかにも剣豪というイメージが強い近藤勇。

しかし、小説やドラマで描かれる豪快な剣豪としての近藤像に対して、現代の研究者たちは疑問を投げかけており、最近では彼の政治活動こそが注目されています。

近藤は徳川家茂の上洛時には老中・板倉勝静と面談し、将軍の滞在延長を画策しました。「勤王攘夷」を掲げ、京都の治安回復を含む詳細な政治活動要綱まで記していたのです。

これらの史料から分かるのは、近藤が単なる剣の達人ではなく、計画的に行動する政治家だったということです。慶応3年には新撰組が徳川慶喜直属の軍隊となりましたが、これは近藤の政治的力量が正式に認められたためでした。

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新撰組については、各種エンタメ作品で親しまれているイメージはがありますね。例えば、

《近藤勇の政治感覚などは、現代でいえば田舎の市議会議員程度である》(『燃えよ剣』司馬遼太郎)

といった考え方や、

《京の町にひそむ勤王志士や浪人たちを探し出しては、これを襲った≫(『幕末新撰組』池波正太郎)

というものです。

結局、こうしたイメージはイメージに過ぎず、ほぼ小説家による創作だったのです。

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参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia

 

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