幕末の四大人斬り “人斬り半次郎”、実はほとんど人を斬っていない!歪められた実態と本当の姿
薩摩藩屈指の英才
西郷隆盛を主人公に据えた小説やドラマにおいて、必ずといってよいほどその傍らに立ち、物語に影を落とす人物が存在します。
その名は桐野利秋、旧名を中村半次郎。幕末四大人斬りの一人「人斬り半次郎」という異名で、その名を記憶している人も多いでしょう。
司馬遼太郎の『翔ぶが如く』をはじめ、多くの創作作品でも登場しますね。
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彼は、西郷への盲目的な忠誠心を持ちつつも、思慮浅く粗野な性格で、最終的に敬愛する西郷を破滅的な反乱へと引きずり込んだ張本人として描かれる傾向にあります。
しかし、これはあくまで小説家によるキャラクター造形であり、歴史的事実の側面から彼の足跡を辿るとき、そこにはフィクションとは異なる実像が浮かび上がってくるのです。
まず彼に付きまとう「幕末四大人斬り」という異名についてですが、実際に彼が手をかけた記録として残っているのは、軍学者の赤松小三郎一人だけです。
講談や創作によって増幅された「血に飢えた剣客」というイメージは、後世の演出による誇張が極めて大きいと言わざるを得ないでしょう。
また、彼が「無骨で学がない」と評されることもありますが、これは当時の武士階級における教養の基準であった漢文学に精通していなかったという一点のみを指しています。
実際には勝海舟からも、薩摩を代表する英才であると高く評価されていた事実があります。


