幕末の京都を震撼させた「人斬り」!尊王攘夷派の志士達が起こした要人暗殺テロの数々【前編】
長らく続いた徳川家による幕藩体制が揺らぎを見せはじめた幕末期。日本は度重なる他国からの干渉によって開国派と尊王攘夷派に分かれ治安は悪化した。
京都では攘夷派の志士による要人暗殺事件が相次ぎ、暗殺を成した志士達は「人斬り」と呼ばれ世間を震撼させた。今回は、そんな幕末から明治期にかけて起こった代表的な暗殺テロ事件をご紹介する。
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吉田東洋暗殺事件
犠牲者:吉田東洋
暗殺犯:那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助
日時・場所:1862年5月6日、土佐帯屋町
幕末の土佐藩士であり、土佐藩15代藩主・山内豊信の元で参与に抜擢され藩政改革を主導した。1857年頃から本格的に藩政権を握り、富国強兵を目的とした開国貿易などの改革を遂行する。
東洋による急激な近代化の改革は革新的であったが、土佐藩の中でも保守的な尊王攘夷論を唱える土佐勤王党と政治理念における対立を招いた。
1862年5月6日。土佐勤王党の武市半平太らの指示によって暗殺が決行された。高知城での職務を終えた帰路の途中、那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助の3名が東洋を急襲。雨の夜であったとされる。首は持ち去られ晒されたという。
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