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『べらぼう』蔦重の“初恋の師匠”で最長の相棒!北尾重政の影の功労者ぶりを史実とドラマから探る

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蔦重のピンチのときはすかさず助ける

重政の粋な“助け”が話題になったのが第38回「地本問屋仲間事之始」

蔦重が出した黄表紙本のせいで、幕府の出版統制がさらに厳しくなり、蔦重は、地本問屋、戯作者、絵師、狂歌師ほか仕事に関わる人々を集めて謝罪をしました。

そして、「本を作るときには奉行所の指図を受けよ」という新たな指示を逆手にとり、“地本問屋が一斉に大量の草稿を町奉行に持ち込めばチェックの大変さに音を上げる”という大胆な計画を話します。「短期間にそんなに草稿を書けるか!」と皆が怒る中、頭を下げ続ける蔦重。

そんな状況で「んじゃ、助太刀に行きますか!」と勝川春章。
「弟子が世に出られなくなっちまうからね」と重政。

立ち上がって蔦重に歩み寄り、微笑みつつ「俺たち、役に立てっかな?」……付き合いの長い師匠たちの、粋な手助けでした。

怒っていた全員がやる気になり、どんな本を作ろうかと、打ち合わせが始まります。「春章と重政の二人が蔦重を助けるならしょうがねえ、俺たちもやるか!」といったところでしょうか。こうやって、影から物事が動くきっかけを作り、蔦重の背中を押す役目を果たしているのですね。

重政亡き後に浮世絵の質が下がったと太田南畝

文政3年(1820)に死亡する直前まで絵師としての仕事を続けていた北尾重政。その存在は、喜多川歌麿や葛飾北斎などにも影響を与えていました。

江戸時代の浮世絵師の伝記や来歴を記した本『浮世絵類考』には、「重政は近来錦画の名手也、男女の風俗武者絵を画、刻板の文字を能くかけり」と書かれています。

また、狂歌師・太田南畝(桐谷健太)は、「近年の名人なり。重政没してより浮世絵の風 鄙(いや)しくなりたり」と重政のことを高く評価しています。

弟子たちがこぞって浮世絵を描くようになっても、“若手の仕事”と言われていた挿絵の仕事を中心に手がけ蔦重の出す本を支えていた重政。

駆け出しの頃、勢いで突っ走っていた蔦重を助けて以来、何度も何度も背中を押したり、助言をしたり、ヒントを与えたり、助けたりと、「蔦重栄華乃夢噺」どおり蔦重の夢を支え続けました。

「べらぼう」では、謎の絵師・写楽は、蔦重とその仲間たちで立ち上げた“チーム写楽”のもとに、離れていた歌麿が戻ってきてアドバイスをすることで「写楽」が誕生する流れ。

これも、蔦重と絵師たちが悩んで停滞する状況に「やってられっか、べらぼうめ!」と喝を入れ、写楽誕生への流れを作った重政あってのことです。

面倒見がいい、いつもご機嫌、笑顔が安定している、所作が粋……さまざまな高評価をされている重政。SNSでファンが「重政先生のスピンオフを作って!」とコメントするのも納得でしょう。

北尾重政は、数多くの有名な浮世絵師を育て上げ、江戸のポップカルチャーを生んで育んできた“影の功労者”。

歌麿や北斎のように誰もが名前を知る絵師ではありませんが、江戸から今につながっている文化の担い手だと思うと、その人生、生き様、人柄、作品など重政を中心にしたスピンオフドラマを観てみたいと思いました。

初めて自分の本屋としての「夢(本)」を依頼、快く承知してくれた“初恋の師匠”であり、それ以来、一番付き合いの長い“最長の相棒”。

ドラマ「べらぼう」の最終回、重政は蔦重を旅立ちをどのような言葉で見送るのでしょうか。

 

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