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【豊臣兄弟!】に登場か?キャストは?豊臣秀長を支えるも非業の最期を遂げた武将・羽田正親の生涯

【豊臣兄弟!】に登場か?キャストは?豊臣秀長を支えるも非業の最期を遂げた武将・羽田正親の生涯:2ページ目

秀長の死後、秀次事件に連座

天正19年(1591年)1月22日に秀長が没すると養子となっていた豊臣秀保(ひでやす。秀長の甥)に仕え、その秀保が文禄4年(1595年)4月16日に没すると、豊臣秀次(ひでつぐ。秀保の兄)に仕えました。

※異説として、秀吉の直臣となりながら秀次を補佐していたとも言われます。

しかし秀次に仕えて間もない文禄4年(1595年)7月15日、秀次が謀叛の疑いをかけられて切腹。正親はその連座として越前国(福井県)へ追放され、現地で自害して果てたのでした。

介錯を務めたのは本多正氏(まさうじ。平四郎)。徳川家康の家臣でありながら、秀次に鞍替えしようと正親に仲立ちを依頼していたようです。

……故ありて豊臣秀次に仕むとして、其臣羽田長門守某とはかるといへども、いまだことならず。文禄四年秀次生害あり。これによりて八月二十四日長門守某殉死するのとき、正氏これを介錯して其身もまた自殺す。年二十六。

※『寛政重脩諸家譜』巻第694藤原氏(兼通流)本多(本多正氏)

正氏としては秀次に鞍替えしようとしていたことが明るみに出れば、もはや生き場所がないと判断して自害を選んだのでしょう。

正親に子供がいたのかは不明、その後羽田家は絶えてしまったようです。

3ページ目 羽田正親・基本データ

 

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