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日本のジャンヌ・ダルク!女傑・坂額御前と一族ゆかりの”釈迦の左眼”が宝物、新潟県「乙宝寺」とは

日本のジャンヌ・ダルク!女傑・坂額御前と一族ゆかりの”釈迦の左眼”が宝物、新潟県「乙宝寺」とは:3ページ目

なぜ、都から遠い北陸の地へインドの高僧を呼んだのか。それはこの地が震災続きだったことに由来します。乙宝寺建立後も、たびたび震災に見舞われ、一度はその左眼も失ってしまいます。

  • 貞観五年(863)・・・貞観の北陸の大地震。寺領崩壊。
  • 寛治六年(1095)に越後で大災害があり、現在の中条付近が大きな被害をこうむる。
  • 康和年間(1099~1104)・・・災害での被害の供養のため、潰されたお寺跡に乙寺が移される。
  • 安元二年(1176)・・・宮禅師が災害でつぶされた寺跡から左眼仏舎利を掘り起こす。京へと持っていかれるが、治承元年(1177)に返還され、寄進を賜り再興される。

なんと、一度は埋まった左眼を掘り起こしたとされる「宮禅師」は、城氏の者です。「乙宝寺縁起絵巻」によると、安元2年(1176)に当時の越後守だった城助永の伯父・宮禅師の霊夢に御告げがあり、それに従い宝塔を掘り起こしたところ、仏舎利を発見したと記されています。

有名な観光地ではありませんが伝説に彩られた新潟・胎内市。日本海をのぞむ雄大な景色を眺めながら、渡来した釈迦の左目のロマンを感じてみてはいかがでしょうか。

参考:乙宝寺

 

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