日本のジャンヌ・ダルク!女傑・坂額御前と一族ゆかりの”釈迦の左眼”が宝物、新潟県「乙宝寺」とは:2ページ目
胎内市屈指の古刹、「乙宝寺」。なんと釈迦の左目が宝物?
さて、この越後の武将「城氏」とつながりが深いのが、同じ胎内市にある「乙宝寺」。なんとこの寺には「お釈迦様の左眼」があるのです。失礼ですが京都でも奈良でもなく、なぜ新潟に⁉と思いませんか。
創建は奈良時代・天平8年(736年)。時の天皇、聖武天皇の勅願により、行基菩薩とインド僧・婆羅門僧正が北陸の安穏を祈って建立。震災の続いたこの土地の安寧を願ってのことでした。
婆羅門僧正が釈迦の左眼舎利を納めたことから「乙寺」と呼ばれ、右眼は中国の「甲寺」に納められたと伝わっています。
のち、後白河天皇が左眼の舎利を納める金塔を寄進した際に、「宝」を追加して「乙宝寺」と改称しました。
筆者も左眼を見学。写真撮影できないので文字で伝えるしかないのですが、大きなガラスケースの中に130センチほどの子供と同等の高さの金の塔があり、その中に更に小さな舎利があります。その舎利にガラスのようなものがはめこまれ、「眼」はその中にありました。
黒い淵と抜けるような透明感があったことはわかりましたが、はっきりとは見えませんでした。すーっと横一文字に線が見えるようでもあり、楕円形の水滴が中に入っているようにもみえました。
しかししばらく引き込まれるように眺めていました。不思議な吸引力があったことは確かです。ちなみに、お釈迦さまの目は青みを帯びた金色という伝説があります。


