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「べらぼう」蔦重と歌麿、あの頃にはもう…おていさんの安否、失脚の定信…11月9日放送の振り返り&考察

「べらぼう」蔦重と歌麿、あの頃にはもう…おていさんの安否、失脚の定信…11月9日放送の振り返り&考察:2ページ目

歌麿が本当に欲しかったのは?

「蔦重はいつもそうなんだ。お前のため、お前のためって言いながら、俺の欲しいものなんて、何一つくんねぇんだ」

いきなり「蔦屋の跡取りにしてくれ。あの店を俺にくれよ」と無茶ぶりをして、断られた歌麿の放った一言。

しかし歌麿がそんなものを欲しがっている訳がありません。何でもすると言ったから言ってみただけで、経営に苦しい書肆一つもらったところで、苦しむのは自分です。

それよりは自分の画才をあちこちで発揮した方が、よほど稼げることでしょう。籠の鳥から解き放たれた歌麿には、それが十分可能でした。

言うまでもなく、歌麿が本当に欲しかったのは家族であり、永年想いを寄せ続けた蔦重からの愛情だったはずです。

ちなみに歌麿の実名は勇助、二代目蔦屋重三郎となった人物も勇助。このまま子供ができなかった蔦重の跡を、歌麿こと勇助が……いやまさか、ねぇ?そんな展開はあるのでしょうか。

だとしたら、みの吉(中川翼)が二代目を担えるほどに成長する方が、よほどリアリティがありますね。

あの頃には、もう……

蔦重が歌麿(当時は唐丸)と出会ったのは明和9年(1772年)。あれから20年以上の歳月が流れて寛政5年(1793年)、実に色んなことがありました。

蔦重「楽しかったなぁ、あのころ」

歌麿「小さい店でぎゅうぎゅう詰めだったけどな」

りつ「愉快な客がたくさんいたねぇ。みんなよく笑って……」

よかったことも、悪かったことも、過ぎてしまえばすべて夢のようなものです。

……あの日から20年。俺についてきてくれて、ありがとな。とびきりの夢を見させてもらった。ありがとう。……

※蔦重の手紙より。

かつて「何があっても、俺だけは蔦重の隣にいる」と言ってくれた歌麿の好意(恋慕)に甘え続けてしまったことを悔いても先には立ちません。

どこでどうすればよかったんだろう……なんて思ったところで、その時はその場その場で必死にもがき苦しみ、全力で駆け抜けてきたのです。

失うものがあれば、得るものだってない訳じゃない。何があろうと、死ぬまで生きるまでのこと。そんな思いを新たにする一幕でした。

3ページ目 たくさんの面、一橋治済が選んだ面は……

 

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