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【べらぼう】『膝栗毛』が大ヒットするも孤独な晩年…十返舎一九(井上芳雄)の生涯と辞世の句

【べらぼう】『膝栗毛』が大ヒットするも孤独な晩年…十返舎一九(井上芳雄)の生涯と辞世の句

弥次さん喜多さんの珍道中『東海道中膝栗毛』生みの親

重田貞一(しげた・さだかず)
〈のちの十返舎一九(じっぺんしゃいっく)〉

駿河国の生まれで、ある日、日本橋の蔦重(横浜流星)のもとを訪ねてくる。蔦重が出す黄表紙が好きで、自らも耕書堂で、本を書きたいと申し出るが…。

史実では、蔦重亡き後に執筆した『東海道中膝栗毛』が全国的に多くの読者を獲得して滑稽本という新たなジャンルを確立した。

※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。

大河ドラマ「べらぼう」の第43回放送「裏切りの恋歌」で初登場した十返舎一九(じっぺんしゃ いっく)。滑稽本『東海道中膝栗毛』の作者として現代に知られていますが、彼は何者だったのでしょうか。

今回は井上芳雄が演じる十返舎一九について、その生涯を予習したいと思います!

蔦重との出会い

十返舎一九は明和2年(1765年)2月8日に誕生しました。

本名は重田貞一(しげた さだかつ)。幼名は重田市九(いちきゅう)、元服して通称を重田与七(よしち)・重田幾五郎(いくごろう)などと名乗ります。

※筆名の一九は貞「一」と市「九」からとっているとか。

出自については諸説あるものの、生家は駿河国(静岡県東部)で、のち駿府町奉行の重田氏に養子入りしたそうです。

はじめ江戸へ出て武家に奉公し、天明3年(1783年)に大坂町奉行の小田切直年(おだぎり なおとし)に仕えたといわれますが、詳しいことは分かりません。

寛政元年(1789年)に近松与七の名義で『木下蔭狭間合戦(このした かげはざまがっせん)』を合作。物書きとしてデビューを果たしました。

この頃に知り合いの材木商に婿入りしますが、ほどなく離縁してしまいます。

やがて寛政6年(1794年)になると江戸へ戻り、蔦重の元へ転がり込みました。

下働きはもちろん、絵も描けたので重宝され、寛政7年(1795年)には蔦重の勧めで黄表紙を手がけるようになります。

『心学時計草(しんがくとけいぐさ)』はじめ多彩な作品を世に送り出し、文も絵もいける戯作者として活躍しました。

2ページ目 『膝栗毛』大ヒットと孤独な晩年

 

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