手洗いをしっかりしよう!Japaaan

【べらぼう】きよの足の異変は何?大崎の老女罷免、蔦重渾身の黄表紙ほか…9月28日放送回の振り返り解説

【べらぼう】きよの足の異変は何?大崎の老女罷免、蔦重渾身の黄表紙ほか…9月28日放送回の振り返り解説

恋川春町(岡山天音)の死によって、ますます「ふんどしの守」への御政道批判を先鋭化しようと躍起になる蔦重(横浜流星)。これまで多くの者たちの死を抱え込み、世をよくしようとする高邁な志と現実のギャップに苦しみ続けているようです。

いっぽう「ふんどしの守」こと松平定信(井上祐貴)も、子供の頃から愛してやまなかった春町の死に報いるため、自分の信じる道を突き進み続けました。

蔦重と定信、それぞれ正反対の立場から春町に報いようともがき苦しむ様子が描かれた第37回放送「地獄に京伝」。おていさん(橋本愛)や山東京伝(古川雄大)の言葉が、蔦重の葛藤を深くえぐる様子に、多くの視聴者も考えさせられたのではないでしょうか。

それではNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」今週も気になるトピックを振り返りたいと思います!

このまま黄表紙の灯は消えるのか?

安永4年(1775年)に恋川春町が『金々先生栄花夢』を出して以来、世相を映したナンセンスで知的な笑いが人気を呼んだ黄表紙。しかし田沼時代を象徴するような軽妙な洒脱さが、寛政の改革によって失われていきました。

武士出身の戯作者は次々に筆をおき、黄表紙の中心は京伝や町人戯作者に移っていきます。

寛政7年(1795年)に南仙笑楚満人(なんせんしょう そまひと)が出した『敵討義女英(かたきうち ぎじょはなぶさ)』以降は仇討ちが主流となり、浮世離れした伝奇物語となっていきました。

そして文化3年(1806年)に式亭三馬(しきてい さんば)が出した『雷太郎強悪物語(いかづちたろう ごうあくものがたり)』をもって、黄表紙と呼ばれる作品は世の中から姿を消したと言います。

果たして「黄表紙の灯」は消えてしまったのか、それとも令和の今もなお、世の一隅を照らし続けているのか……皆さんはどう思われますか?

2ページ目 幸せを掴んだ矢先に……きよの足に異変

 

RELATED 関連する記事