父の仇討ち、消息不明の最期──”夢の中”で秘術を授かった戦国時代の剣豪・林崎甚助の生涯:2ページ目
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仇討ちと廻国修行
その後、卍抜を極めた甚助は永禄2年(1559)に元服し、父の仇討ちのために旅に出ます。そして永禄4年(1561)、旅の末に坂一雲斎と出会った甚助は、鍛え上げた居合の技で見事に父の仇を討ちました。
本懐を遂げた甚助は、居合の極意を授けてくれた林崎明神に信国の太刀を奉納。翌年には、母の死をきっかけに諸国を巡りながら修行を始め、その途中で弟子たちの育成にも力を注ぎました。
甚助から教えを受けた人物には、美しい居合で美の田宮と称賛された田宮流の開祖・田宮重正や片山伯耆流の開祖である剣豪・片山久安が知られています。
また、修行の途中で加藤清正に招かれ、加藤家の家臣たちの剣術指南をしていたとされています。
塚原卜伝から修行を受ける
甚助は清正の他に塚原卜伝とも出会っており、卜伝からは鹿島新當流最高秘伝天下第一之剣を授かりました。さらに、鞍馬八流の末流で大野将監(おおの-しょうげん)が創始した将監鞍馬流の2代目継承者として、その系譜に名を連ねています。
諸国を巡り数々の剣術の修業を経た甚助は、54歳となった文禄4年(1595)に武蔵国一之宮社地に移住した後、再び諸国を巡る旅に出ました。
元和2年(1616)には川越に住む甥・高松勘兵衛のもとに身を寄せましたが、76歳となる翌年に3度目の旅に出発。その後は川越に戻ることなく、消息不明となりました。
甚助亡き後、彼が極めた剣術は夢の中で着想を得たと伝えられたことから神夢想林崎流と呼ばれました。
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