【べらぼう】蔦重が松平定信に”書をもって断固抗う”決意を込め実際に出版した黄表紙3冊を紹介
NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」皆さんも楽しんでいますか?
さて、第34回放送「ありがた山とかたじけ茄子(なすび)」では、OPやキービジュアルも最終バージョンに。
【べらぼう】なぜふんどし野郎?なぜていは眼鏡を外した?響く「屁!」コールほか… 第34回の振り返り
これは田沼時代が終焉を迎え、世の流れに抗いもがく様子が表現されています。
ふんどし野郎(越中守)こと松平定信による野暮の極み……もとい、厳しい思想統制・言論弾圧(寛政の改革)が始まろうとしていました。
庶民は何の楽しみもなく、身分相応に死ぬまで働け……そんなの死んでも御免な我らが蔦重は、書を以て断固抗う決意を示します。
運命の天明8年(1788年)正月、蔦重は3冊の黄表紙を出版しました。
- 恋川春町『悦贔屓蝦夷押領(よろこんぶ ひいきのえぞおし)』
- 朋誠堂喜三二『文武二道万石通(ぶんぶのにどう まんごくどおし)』
- 山東京伝『時代世話二挺鼓(じだいせわ にちょうつづみ)』
それぞれどんな物語なのか、紹介していきたいと思います。
※今回はわかりやすさ重視なので、細かいディティールなどは誤差があるかも知れません。
参考:
「べらぼう」に登場する江戸時代の書物、赤本・青本・黄表紙や、絵草紙・戯作の違いをまとめ解説!
恋川春町『悦贔屓蝦夷押領(よろこんぶ ひいきのえぞおし)』とは
タイトル
悦(よろこ)ぶ、昆布をかけたダジャレ。贔屓とは判官贔屓の源義経です。
蝦夷押領(えぞおし。押領使)とは叛乱を鎮圧する役目。転じて義経の北行伝説(蝦夷地へ逃れた生存説)がモチーフとなっています。
贔屓の蝦夷押領とは、贔屓の引き倒し(贔屓し過ぎて、かえってダメにしてしまう)の意味も。
ストーリー
源義経は兄の源頼朝に追われ、ついには奥州平泉で自害した……とされていますが、実は兄弟で示し合わせた作戦でした。
なにぶん物価高で食費がかさむため、口減らしとして奥州へ逃げ込んだテイを装ったのです。
義経はもちろんのこと、武蔵坊弁慶や常陸坊海尊、義経四天王など大飯ぐらいが奥州へ転がり込みました。
奥州の主・藤原秀衡はたまらず「蝦夷地を征服されてはどうか」とそそのかします。
それを聞いた義経は、意気揚々と蝦夷地へ殴り込みをかけました。
途中で並居る強敵がたちはだかるも、鎧も城も昆布で出来ているから、みんな味をつけて食い尽くします。
かくして蝦夷地を征服した義経は、現地の武将に統治を任せたところ、これがとんでもない曲者でした。
賄賂をとるわ遊び惚けるわ、挙句の果てには義経の妾にまで手を出そうとする始末。
そこで義経は昆布で築き上げた街も御殿もみんな引き上げ、昆布の船で鎌倉へ帰ります。
蝦夷地は元通りの荒れ地に戻り、鎌倉には蝦夷名物の昆布がもたらされたのでした。
解説
田沼政権が手がけていた蝦夷地開発を揶揄し、現地の武将らは田沼派の体たらく(情けない有り様)を風刺しています。
もちろん義経のモデルは定信。思い切り持ち上げることで、却って皮肉となる趣向でした。
※義経の蝦夷渡り伝説:



