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『べらぼう』歌麿が画名を「千代女」にした本当の理由…蔦重を巡る“三人の女”に隠された真意【後編】

『べらぼう』歌麿が画名を「千代女」にした本当の理由…蔦重を巡る“三人の女”に隠された真意【後編】:2ページ目

蔦重を公私ともに支えられるのは俺だけという自負

以前、いろいろと落ち込む蔦重に「何があっても俺だけはそばいるから」という言葉をかけた歌麿。

彼は、自分が一流絵師になるより、「蔦重のサポートをし、自分の絵でビジネスが大きくし彼を喜ばせる」ほうが、の望みだったのだと思います。

「蔦重を公私ともに支えられるのは俺だけ」という自負は、心の奥にあって離れない暗い過去を乗り越えるために必要だったのです。

そんな歌麿の前に現れたのが、蔦重と同様に本を愛するてい。歌麿がもう「自分は必要じゃないんじゃないか」と居場所がなくなる不安に囚われる気持ちは痛いほど分かります。

「唯一無二」の本物の家族ではないという悩み

歌麿という名も戸籍も、蔦重がくれた偽物。それに比べ、ていは結婚してこれから蔦重と家族を育んでいける「唯一無二」の妻

誰もが認める、確固たる関係の「妻」というポジションと比較すると、歌麿は血のつながりもない儚い存在です。(基本、陽キャの蔦重の「お前は大切な弟だ!」という言葉だけでは、一抹の不安を感じていたはず)

同じく唯一無二の存在である「母」のつよに対しては、この人がいてこそ蔦重と出会え、自分が生き返ることができた……と思えますが、ていに関しては、突然現れ今までは自分の居場所だった「蔦重の隣」に座った人。「偽物の弟」の自分の立場を脆く感じたことでしょう。

仮に蔦重の妻が、容姿に恵まれていても本も読まないような女性や、商売も顧みない性格の悪い女性だったなら、歌麿も苦悩しなかったと思います。

ていは、勉強熱心で本と本屋を心から愛し、挫折や苦労も乗り越え、真摯に仕事に立ち向かう女性。歌麿も「蔦重の片腕になる人だ」と認めていたのでしょう。

ていが歌麿に「さすがは絵師さんですね」と褒める場面もありました。笑顔こそないものの、生真面目過ぎる直球ストレートな褒め言葉。歌麿は、「こんなの当たり前」などと言ってましたが、嬉しかったしていにも好感を持ったのだと思います。

ビジネス婚だった二人がようやく男女として結ばれた事実は、義理の弟としてはうれしいこと。けれども…

自分は、蔦重の隣に生涯座って支え続けられる“妻”という「唯一無二」のポジションにはなれない寂しさ、そして、“無償の愛を捧げられる生みの親”を奪われた悲しさがあったのではないでしょうか。

「蔦重よかった」と言いつつ、涙を流し布団をかぶって寝る歌麿。泣き疲れて眠るまで涙が止まらなかったのではないかと思うと切ないですね。

3ページ目 自分の名前を「歌麿門人 千代女」と書いた本当のわけ

 

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