酒癖の悪さがすべてを狂わせた!名将・福島正則が家宝の名槍「日本号」を失った夜【前編】:2ページ目
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そして、「ごほうびとして、日本号をいただきます」と告げたのです。
日本号は、正則がかつて豊臣秀吉から授かった名槍であり、家の誇りでした。それでも正則は、「武士に二言はない」と言って、その槍を渡しました。
しかし翌朝、酔いからさめた正則は、そのことを思い出して頭を抱えたといいます。あんなにも大事な槍を、酒の勢いで手放してしまった――返してほしいと願い出たとも伝えられていますが、もう遅かったのです。
相手が正則の剛腕に恐れをなして、家宝を返そうとしなかったとも、一方で、断る理由がなかったとも諸説あります。いずれにせよ、正則にとっては、深い後悔と苦い思い出が残った出来事でした。
※この出来事をさらに詳しく↓
酔いが覚め後悔…戦国武将・福島正則の酒好きが災いした失態エピソード
多くの人にとって切っても切れない縁であるお酒。時には娯楽、時にはストレス発散にと用途は様々ですが、気分が乗ってついつい飲みすぎて酔っ払ってしまうことも…。そんな時に起こした失敗は酔いがさめた後…
この出来事は、のちに『黒田節』という歌となって広まりました。勇壮な旋律にのせて、酒と槍の逸話が語り継がれ、人々の記憶に深く刻まれていきます。今も福岡の銅像や博多人形には、盃と槍を手にした母里友信の姿が残されています。
しかし、正則が酒によって失ったものは、家宝だけではありませんでした。
【後編】の記事はこちらから↓
「切腹せよ」酒に酔った失言で家臣を死なせた名将・福島正則の悲劇と不器用な終幕【後編】
福島正則(ふくしま まさのり)は、戦国時代から江戸時代の初めにかけて活躍した武将です。豊臣秀吉のいとこという縁もあり、若いころから多くの戦で手柄を立てた勇敢な人物として知られています。…
参考文献:南條範夫 著『大名廃絶録』(1964 人物往来社)
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