江戸時代、女性はなぜここまで虐げられた?吉原遊女の実態をジェンダー史で読み解く:2ページ目
幕府公認の性売買ビジネス
さて、ジェンダー史学のから歴史を見た場合、避けて通れないのが性売買の問題です。
近年の研究で、性売買の発祥は、イエの継承が重視され、夫が妻の性を独占するようになった九世紀後半以降という見方が強まっています。
これ以前は男女・夫婦関係が緩やかだったため、職として成り立たなかったという見解が背景にあります。
中世の性売買は、漂泊芸能民が次第に旅宿を生業とする女性集団(傀儡子)となり、それが中心となって営まれるようになります。室町時代には、男性経営者による傾城屋も登場しました。
近世には幕府が江戸・大坂・京で見世(店)を集住させ、有名な吉原をはじめとする公認の遊郭とします。
人出の多い社寺周辺や宿場町などには非公認の遊所が多数ありましたが、これらは厳しく取り締まられました。
飯盛女や湯女が遊女役。幕府公認「吉原遊郭」の強敵だった非公認遊郭「岡場所」とは?
Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。今回は幕府公認遊郭・吉原と、非公認遊郭・岡場所との違いに注目します。遊郭がなければ江戸は男だらけそもそ…
吉原は、当初は日本橋葺屋町に置かれ、のちに浅草日本堤に移転。この「新吉原」の敷地は約20800坪(約八万平方メートル)、周囲に堀を巡らし外部から隔絶されました。約200軒の見世があり、狭い地域に3000~4000人の遊女が集住していたといいます。

