【べらぼう】で又吉直樹が演じる狂歌四天王・宿屋飯盛 〜遊女名を冠した男の素顔と復活劇:2ページ目
国文学に打ち込み、狂歌界へ復帰
しかしこのまま腐ってばかりではありません。
宿屋飯盛は国学者として古典文学の研究に打ち込みました。そして『源註余滴(げんちゅうよてき。源氏物語の注釈書)』や『雅言集覧(がごんしゅうらん。雅語辞典)』にまとめ上げます。
また大田南畝が主宰する和文の会に参加、仲間との交流を通じて切磋琢磨していました。
他にも和文集『都の手ぶり』や、読本『飛騨匠物語(ひだのたくみものがたり)』など、多彩な文芸活動を展開しています。
※政治批判や風刺でなければ自由に表現ができました。
どんな苦境にあっても、いま自分にできることに最善を尽くす姿勢は素晴らしいものですね。
天は自らを助ける者を助けると言いますが、そろそろほとぼりも冷めた文化9年(1812年)に宿屋飯盛は狂歌界に復帰を果たしました。
狂歌連「五側」とは
狂歌界に復帰した宿屋飯盛は、狂歌連「五側(ごがわ)」を結成します。
何だか不思議な名前ですが、これは鹿津部真顔の結成していた狂歌連「四方側(よもがわ)」に対抗したのかも知れません。
また五側は大工道具の五則(ごそく)にも通じます。
五則とは長さや重さを測る5つの道具で、それぞれ規(ぶんまわし。分度器)•矩(かね。物差し)•権(おもり)•衡(はかり)•縄(すみなわ)です。
いわゆる度量衡の基準で、転じて秩序やルールの象徴とされました。
もしかしたら「折り目正しく品行方正に活動しています」というアピールだったのかも知れません。
かくして鹿津部真顔「四方側」と宿屋飯盛「五側」は狂歌界を二分し、互いに切磋琢磨したことでしょう。

