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江戸時代の「大奥」は権力の中枢。日本史に埋もれた女性たちの政治力とは?【ジェンダー史学】

江戸時代の「大奥」は権力の中枢。日本史に埋もれた女性たちの政治力とは?【ジェンダー史学】:2ページ目

見直される女性たちの活躍ぶり

こうした研究成果を背景に、歴史に登場する女性たちの人物像についても見直しが進んでいます。

例えば三代将軍・家光の乳母で大奥の創設者といってもよい春日局は、平清盛の妻である平時子や北条政子と同様に従二位に昇った大立者です。「紫衣事件」に際しては、幕府と朝廷の関係改善も果たしています。

近年は、この春日局の内証ルートがかなり活発だったことも明らかになっており、実は彼女は老中以上の実力者だったことが裏付けられています。

ちなみに、春日局については「家光の実母説」もクローズアップされており、今後の研究成果から目が離せません。

また幕末の十三代将軍・徳川家定と、薩摩藩の篤姫(天璋院)の婚姻や、皇女和宮(静寛院宮)の十四代家茂への降嫁も、大奥の強い政治力への期待が背景にあったようです。

鳥羽伏見の戦いの後、徳川慶喜が蟄居したのはご存じの通りです。これを受けて、天璋院と和宮は「当主不在」という危機に直面しました。

そんな中で、二人は慶喜の赦免や徳川家の存続に尽力し成功したわけですが、和宮は徳川家当主としての責任感を滲ませた日記を残しています。

中世にも当主代わりとなった北条政子や、今川義元の母である寿桂尼らの例がありますが、政務代行者としての「当主の元夫人」の権威は幕末まで健在だったのです。

【後編】では、こうした女性たちが明治時代以降に歴史の表舞台から消えていった経緯や、ジェンダー史学を学ぶ上で避けて通れない性売買の話にスポットを当てていきます。

【後編】の記事はこちら↓

江戸時代、女性はなぜここまで虐げられた?吉原遊女の実態をジェンダー史で読み解く

庶民の女性は暗黒時代前編では、ジェンダー史学の視点によって、「大奥」をはじめとする歴史上の女性たちの隠れた活躍が掘り起こされていることを解説しました。[insert_post id=251…

参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia

 

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