大河「べらぼう」田沼意次の側近・三浦庄司(原田泰造)の栄光と、後に訪れる転落の生涯…:2ページ目
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主君の失脚とともに追放
しかし奢れる者は久しからず。天明6年(1786年)に田沼意次が失脚すると、三浦庄司も無事ではすみません。
田沼政権の重鎮として三浦庄司は失政の責任を追及され、遠州相良藩で投獄されてしまいました。
やがて追放の憂き目を見るものの、これまでに蓄えた莫大な財産ゆえにそこまで暮らしに困ることはなかったそうです。
しかし下っ端たちはそうも行きません。主君の失脚にともなって暇を出されてしまった足軽たちが、大挙して三浦邸へ押し寄せました。
あまりの勢いに気圧されてしまった三浦庄司は、これまで蓄えていた財産を皆に分け与えたそうです。
もし金を惜しんでいたら、きっと命がなかったでしょうね。
ちなみに福山藩士として取り立てられていた兄と弟についても追放されてしまったそうです。
追放された後の三浦庄司について、詳しいことは分かっていません。
終わりに
今回は田沼意次の側近として活躍する三浦庄司について、その生涯をたどってきました。
晩年や最期についてはっきりしないことから、どのような描き方をするのかが注目です。
最後まで、原田泰造の好演を見届けていきましょう!
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※参考文献:
- 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版、1994年11月
- 江上照彦『悲劇の宰相 田沼意次』教育社、1982年4月
- 中村幸彦ら校訂『甲子夜話 1』 平凡社、1977年4月
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