朝ドラ「あんぱん」嵩の父・柳井清(二宮和也)のモデル・柳瀬清が遺したアンパンマンの源流〈空腹の哲学〉:2ページ目
日本郵船・講談社・朝日新聞で活躍する
やがて清は東亜同文書院を卒業。当時、国内でも人気随一であった日本郵船の上海支店に勤務します。
清が特に実力を買われたのは、その筆の力でした。
上海の現地航路のダイヤ改訂報道で、清は周囲から筆力を買われます。その後、講談社に招かれ、総合雑誌『雄辯』の編集部員となります。
ドラマ『あんぱん』では、清が漫画の編集に携わったという描写がありましたね。あのシーンはこの時代のことをモデルにしているようです。
大正8(1919)年2月6日、妻・登喜子が長男・嵩を出産。可愛さに伯父が贈った新式カメラで「一歳誕生写真」を何枚も撮影したというエピソードは、後年やなせたかしが回想しています。
大正10(1921)年、今度は清は東京朝日新聞「支那部」へ移籍。翌年には広東特派員として再び大陸へ渡ることとなりました。
編集者から特派員へという異色の転身は、清の経歴や経験だけでなく、紙面に“現場の匂い”を持ち込む野心からだったと思われます。
