日本最古の悲恋・十市皇女と高市皇子の純愛をさまざまな角度から考察!幼馴染みから政治の犠牲に…【中編】:3ページ目
一部の学説では、高市・十市・穂積・但馬という異母兄妹たちが入り乱れ、まるで恋愛サロンのような関係を築いていたとされています。これを、古代における恋愛観の大らかさの表れと見る研究者も多いようですが、果たして本当にそう言えるでしょうか。
繰り返しますが、高市皇子は壬申の乱における最大の功労者であり、乱に勝利できたのは、彼の卓越した軍事的指導力によるところが大きかったのです。しかし、高市は母親の身分が低かったため、皇位継承の上位に立つことはできませんでした。
そのような高市の境遇は、十市の亡夫・大友と非常によく似ています。二人とも天皇の第一皇子として生まれ、並外れた才知を持ちながらも、母の身分の低さゆえに、容易には皇位に就けなかったのです。それでも大友は、皇位継承を目指して朝廷の運営に乗り出しました。しかしその反動は大きく、最終的には身を滅ぼすこととなってしまいました。
自らの手で滅亡へと追い込んだ大友の運命を目の当たりにした高市は、皇位継承への望みをきっぱりと捨てたのではないでしょうか。だからこそ、第一皇子でありながら父の臣下として隠忍自重し、天武の没後には持統からも信頼を寄せられる存在となります。
そしてその政権下では、朝廷の首班たる太政大臣に任じられ、薨御に至るまで皇族・臣下の頂点に立って、持統天皇を支え続けました。
彼の脳裏に常にあったのは、姉・十市に対する自責の念と深い憐憫の情であったと思われます。どのような言い訳をしたとしても、高市は十市にとって最愛の夫を死に追いやった張本人にほかならなかったのです。
飛鳥に戻った十市に対し、高市は単なる恋愛感情を超えた深い想いを抱くようになります。そんな高市に、十市もまた心惹かれるものがあったのでしょう。
しかし、彼女はその想いを懸命に抑えたのではないでしょうか。そしていつしか、高市と十市の間には、苛烈な戦乱を生き抜いた者にしか共有し得ない、深い感情の交差が生まれたに違いありません。
高市の十市への挽歌からは、姉の人生を不幸に貶めてしまったことに対する、彼自身のこの上ない痛恨の情が読み取れるのです。
では【中編】はここまでとしましょう。最終回の【後編】では、2人が永遠の眠りにつく奥津城についてお話ししましょう。
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日本最古の悲恋!十市皇女と高市皇子の純愛をさまざまな角度から考察〜幼馴染みから政治の犠牲に【後編】
※参考文献
板野博行著 『眠れないほどおもしろい 万葉集』王様文庫 2020年1月


