実は大バクチだった!大久保利通らが仕掛けた合法クーデター「廃藩置県」の意外な実態【後編】:3ページ目
国・郡を基準に再編
廃藩置県という大改革によって、全国は既存の府県と合わせて3302県となりました。
旧藩の名称と領域は当初は維持されましたが、1871年末には3府72県に再編。知事ら県幹部には、原則その県域外の出身者を任命することで人心一新が図られます。
再編の基準となったのが、古代律令制の地方行政単位だった国や郡です。
例えば九州の筑前・筑後・豊前・豊後国はそのまま福岡・三潴・小倉・大分県となり、肥後国は北部9郡が熊本県、南部6郡が八代県となっています。
県の名称は、旧藩とのつながりを断つことを目的に旧藩名から変更されたところも少なくありません。宮城・石川・愛知などの県名は、仙台・金沢・名古屋といった旧大藩の名称を避けるため県庁所在地の郡名に改められたものです。
その後も府県の再編は続き、1876年には3府35県に減少しました。1879年の沖縄県設置(琉球処分)以降は再び増加に転じ、廃止されていた徳島・福井・佐賀・奈良県などが復活した。
やっと落ち着いたのが1888年の香川県再置によって1道3府43県となったあたりで、ここで現在の47都道府県に引き継がれたのです。
参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
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