実は大バクチだった!大久保利通らが仕掛けた合法クーデター「廃藩置県」の意外な実態【後編】:2ページ目
「瓦解せんよりは…」
このような混乱の中で、7月になって長州出身の若手官僚から廃藩論が起こり、9日に木戸邸で行われた木戸・大久保・西郷らの会談で合意されます。
大久保は「廃藩」を断行する2日前である1日の日記に、〈今日のままにして瓦解せんよりは寧ろ大英断に出て瓦解いたしたらんに如かず〉と書いています。
おそらく大久保らは、藩を残したままでの中央集権化の限界を悟ったのでしょう。廃藩置県という大勝負によって、決裂しかけた政府内の結束を強めることに賭けたのです。
廃藩置県がクーデターといわれるのは、これが薩長出身者のみによる決定であり、土佐藩をはじめとする諸藩はもちろん、薩摩・長州の国元も一切関与していなかったためです。
政府首脳の岩倉や三条実美すらも蚊帳の外で、12日に決定事項として通告されているほどです。
こうして名実ともに誕生した中央集権国家で、薩長出身者は権力を独占することができたのです。
