【べらぼう】なんと実在の人物だった半次郎(六平直政)!”つるべ蕎麦”は吉原名物として有名だった:2ページ目
2ページ目: 1 2
釣瓶蕎麦の歴史
- 時期不詳 若松屋幸助が釣瓶蕎麦を開業
- 明和4年(1767年)ごろ 増田屋次郎介が2代目店主に
- 時期不詳 増田屋半次郎が3代目店主に
- 明和7年(1770年) 洒落本『遊子方言』に釣瓶蕎麦が登場
- 明和9年(1772年) 吉原遊郭内で増田屋清吉が釣瓶蕎麦を営業中
- 天明年間 『江戸見物道知辺』で江戸の名店として紹介
- 天明3年(1783年) 半次郎が引退、増田屋半四郎が4代目店主に
- 天明5年(1785年) 釣瓶蕎麦が廃業
現代の増田屋とはどんな関係?
増田屋と言えば、令和の現代でも営業している有名な蕎麦屋がありますが、こちらとは関係があるのでしょうか。
ホームページを調べたところ、こちらも増田屋次郎介を起源としているようです。
書籍で調べた歴史とは少し違うようですが、せっかくなので見比べてみましょう。
- 寛保2年(1742年) 浅草の吉原五十間口に「釣瓶蕎麦」と「若松屋幸助」という蕎麦屋が存在
- 明和5年(1768年) 増田屋次郎介が両店とも受け継ぐ
- 明和9年(1772年) 吉原伏見町に「釣瓶蕎麦」と「増田屋清吉」を暖簾分け
- 安永4年(1775年) 増田屋半次郎が家業を継ぐ
- 天明3年(1783年) 増田屋半四郎が家業を継ぐ
~この間、100年間ほどは詳細不明~
- 明治23年(1880年) 武久留吉が麻布区笄町(渋谷区広尾)に増田屋の支店を開業。現代の増田屋となる
(後略)
※参考:増田屋のれんとは|外苑前 増田屋~TOKYOモダン蕎麦屋~
100年ほどつながりの不明な期間はあるものの、どうやら浅からぬご縁がありそうです。
東京で増田屋さんを見かけた時は、半次郎の顔が思い浮かぶかも知れませんね。
終わりに
今回は蔦重を見守る一人•半次郎が営むつるべ蕎麦の歴史をたどってきました。
物語がそろそろ天明年間(1781〜1789年)に入るので、半次郎も退場が近いかも知れません。
メインではないけど、いないとその場がしまらない。蕎麦で言えば薬味のような存在感を、最後まで堪能させて頂きましょう。
※参考文献:
- 佐藤要人 監修『川柳蕎麦切考』太平書屋、1982年4月
- 新島繁『蕎麦史考』錦正社、1975年9月
ページ: 1 2

