
狼に片腕を噛み砕かれ…死闘の結果は?柳田国男『遠野物語』が伝える”命懸けの一騎討ち”
明治時代ごろに絶滅するまで、日本各地には狼(ニホンオオカミ、エゾオオカミ)が棲んでいました。
古くから御犬(おいぬ)や山犬などと呼ばれ、畏怖と信仰の対象である反面、時として人間生活を脅かす存在として伝わります。
今回はそんな狼と人間が争った歴史の一幕を、柳田国男『遠野物語』より紹介。果たしてどんな結末を迎えたのでしょうか。
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我が子を奪われた母狼の復讐
むかし六角牛山(ろっこうし)のふもとに、オバヤ、板小屋と呼ばれる萱山がありました。
萱山(かややま)というのは生活に必要な萱(茅。屋根葺きなどに用いる草)を刈り取るための山で、周囲の村々が譲り合いながら利用しています。
ある年の秋、飯豊村(いいでむら)の者たちが萱を刈りに出た時のこと。彼らは岩穴の中に、狼の子供が三匹いるのを見つけました。
「大きくなれば必ずや害をなすだろうから、今のうちに殺してしまえ」
ということで、彼らは狼の子供を二匹殺し、残る一匹を土産に持ち帰ったそうです。
しかしこれで終わるはずはありません。我が子を奪われた母狼の怒るまいことか。
「……ッ!」
この怨み、晴らさでおくべきか……やると決めたら行動は早い。何と母狼は、その日の内に飯豊村へ夜襲をしかけ、以来連日にわたって馬を食い殺すようになったのです。
「ウチの馬が全滅だ!」
「お前もか!」
飯豊村では狼による被害相次いだものの、他の村では人馬の被害が一切出ませんでした。
母狼は「どこのだれが我が子を殺し、奪って行ったのか」をキッチリ認識していたのですね。
飯豊村でも警戒を強めたでしょうが、それでも母狼は警備の死角を狙って、着実かつ残忍に馬を殺し続けるのでした。
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